真念さんの墓所となっており、ぜひお参りしてください...
牟礼石あかりロードのイベント会場となります。
地元イベントにオープンなイメージ。
お四国遍路の父、信念さんをお祀りしています。
八栗寺に参拝の前に是非ともお詣りしてみてはいかがでしょうか。
また、四国観音霊場第2番札所になります。
御朱印を頂き日々の感謝を頂いても良いのではないでしょうか?
大同年間(806年~)弘法大師によって創建されました。
本尊は聖観世音菩薩で弘法大師自作と伝えられています。
源平合戦、土佐長曽我部軍の讃岐進攻の兵火に焼かれるなど繁栄と衰退を繰り返しましたが元禄十三年(1699年)再興され現在に至ります。
源平合戦時に源義経の身代わりとなり討ち死した佐藤継信の亡がらを戦火で焼け落ちた本堂の扉に乗せて源氏の本陣、瓜生ケ丘まで運ばせたと伝わっており佐藤継信の菩提寺として毎年三月十九日に慰霊法要が行われています。
平成十二年に再興三百年を記念して完成した庭園は苔と石で「屋島壇の浦の合戦」を表現しています。
境内壁面には「那須与一扇の的」「弓流し」などの合戦のあらましを刻んだ説明板も設置されています。
また、江戸時代四国八十八ヵ所霊場を庶民に広めた真念の墓が有ります。
真念は江戸時代初期の僧で弘法大師に帰依し四国八十八ヵ所霊場を巡ること二十余度に及び、その間巡拝案内記を作り遍路道の整備をするなど霊場の興隆に務め「四国遍路の父」と仰がれています。
お墓は昭和五十五年二月に牟礼町塩屋の南三昧にあったものを当寺に移したものであります。
銀杏の綺麗なお寺です。
義経の盾になって討たれた佐藤継信の菩提寺。
源平屋島合戦の説明板があります。
歩きお遍路の方は、真念さんの墓所となっており、ぜひお参りしてください。
屋島寺と八栗寺の中間(?)あたりです。
ご近所さんです。
とても静かで落ち着きます。
源平合戦の佐藤継信ゆかりの寺。
夏にはむれ石明かりロードで賑わいます。
源平の戦いの歴史の詳しい説明が境内に書かれてあり、勉強になります。
また、四国遍路に貢献した信念さんのお墓がまつられています。
牟礼町の歴史を知ることができる場所です。
四国遍路の父 真念のお墓があります。
この寺の歴史は古く、大同年間(806~)に弘法大師により創建されたのです。
かつては源平合戦場でもあったのです。
有名な話で,源義経の身代わりで亡くなつた佐藤継信をこの寺に運んできたのを,寺の扉に乗せて源氏の本陣まで運んだと言う伝説があります。
また、戦国時代には、長曽我部元親に焼きうちされて全焼しました。
その後100年程経ってから松平家の援助により再建されました。
その外に四国霊所88カ所の寺名外順番等を決めた(元禄時代)真念のお墓があります。
また、この寺は旧小学校跡でもあります。
また、境内には香川県の保存木の銀杏の木もあります。
歴史の宝庫であります。
苔で源平の戦いを再現しているお庭が見事。
苔好きと源平合戦が好きな人はぜひ訪れるべき。
どちらにも興味なければ、まったくつまらないところだと言われそう。
とはいえ、好きな人にはたまらないお寺。
入り口の竜泉にある石製の手水桶からして苔がびっしり生えていて美しい。
苔好きにはたまらない。
それに、岩と苔で源平の戦跡を摸しているところがいい。
屋島の戦いに興味ある人なら胸が熱くなる。
ただし、子連れだと子供が飽きるかもしれない。
八栗駅からずっと石畳で道を教えてくれるのでとても親切だと思う。
至って普通の道のために、これほど狭い道が史跡だとは思えない。
四国霊場大先達の大法師「真念」の墓があります…余裕があれば遍路途中に訪れてみてはいかがでしょう!
洲崎寺の宗派は 高野山真言宗で創建年(伝)806年 - 810年 開基(伝)弘法大師御本尊は 聖観世音菩薩四国八十八箇所の番外札所との事です当寺は 源平合戦の折り 源氏方の負傷した兵士が運ばれたとあり ソノため当時の戦いにおき寺は消失し その後は長らく再興するも 戦国時代に長宗我部元親の侵攻により再び消失荒廃と相成りましたそして江戸中期の1699年に再興されたお寺が 現在あるモノとの事で 源平の戦いに由縁のある お寺でもあります。
名前 |
洲崎寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
087-845-2663 |
住所 |
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評価 |
3.9 |
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静かで厳かな雰囲気。
気持ちがスッキリします。