右手にバット、左手にボールを持っています。
愛媛県出身の俳人 正岡子規 は 野球殿堂入りしています。
2015年3月に建立された高さ3メートルの銅像で、右手にバット、左手にボールを持っています。
野球という表記を最初に考案したのも子規だといわれています。
(野球と翻訳したのは中馬庚)
松山の夭折の俳人、正岡子規の像、無類の野球好きだったのでユニフォーム姿ですね、雅号としてですが、野球という言葉を最初に使用したのは正岡子規だそうです(訳語としての野球はその後だそう)
正岡子規記念館の前に立っています。
俳人というより「野球好きのお兄さん」というイメージが伝わる像。
説明を読むと、正岡子規の人生の概略をかいつまんで知ることができます。
「走者」「直球」などの野球用語を日本語訳したことも知られていますが、教科書で見るような正岡子規のイメージとは少し違いますね。
銅像にすると「俳人」ということはなかなか伝えづらかったんでしょうね。
人気のからくり時計が近くにあり存在感がないです。
正岡子規は野球が相当好きだったという事で、そのユニホームを着ています。
どうしても晩年は脊椎カリエスの痛みに苦しめられた印象が強い子規ですが、1889年明治22年に喀血するまでは野球少年でした。
その出会いは東大予備門時代になります。
主にキャッチャーを務めていたそうで、そのあまりののめり込みように子規の理解者の河東碧梧桐からかなり面白い言われ方をされています。
自分の本名の升「のぼる」をもじって野球イコ-ル「のぼーる」という雅号を用いた事も。
野球の短歌や俳句も詠みました。
実は正式にベースボールを野球と訳した最初の日本人は薩摩出身の中馬庚という教育者でこの人は遊撃手という言葉も訳し、1970年昭和45年に野球殿堂入りしています。
正岡子規は打者、走者、死球、直球、飛球、等現代でも用いられている多数の野球用語を翻訳して、2002年平成14年に野球殿堂入りを果たしました。
どの言葉も野球のその動きの躍動感が伝わって来ます。
天国で学生時代に仲の良かった秋山真之や、夏目漱石、そして子規を慕っていたたくさんの弟子と野球や俳句に興じていたらいいのになぁと思います。
ノボールですな!野球…。
のぼさん。
正岡子規の没後100年の平成14年に、正岡子規は野球殿堂入りを果たしました。
アメリカ発祥のベースボールを、自らプレーし広め、野球を題材とした俳句を詠み残しました。
正岡子規が訳した野球用語で現在も使われているものは「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」などがあります。
正岡子規はまさに日本における「野球の祖」といえる人物です。
近隣に、平成15年5月、野球資料館として「野球歴史資料館 の・ボールミュージアム」が誕生しています。
若き日の子規が現されています。
道後温泉駅のすぐ近くにある像です。
野球の格好をしているのは、正岡子規が野球が大好きよくプレーし、さらには野球用語である「打者」「走者」などの単語を作ったからです。
なんと野球殿堂入りもしているとか…!
なぜにこのポーズかと思ったが、解説を見て納得。
野球という言葉は、正岡子規がつくった造語だったとは。
俳人だからこそ見事に米国生まれの野球用語が日本語に当てはまっている。
名前 |
正岡子規像 |
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ジャンル |
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電話番号 |
089-968-6660 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
http://matsuyama-chuo-lions.lekumo.biz/activity/2015/06/post-522e.html |
評価 |
3.5 |
教科書で習った正岡子規が日本の野球に深く関わっていたとは。
初めて知りました!