立派な一の鳥居が気になるお宮さまです。
ご祭神はちょっと珍しい埴安神(はにやすのかみ)。
社殿は戦後に復興された立派なもの。
灯が沢山ぶら下がっています。
隣に白山社がありますが、なぜか第二次世界大戦で亡くなった方の写真でいっぱい。
大きな忠魂碑などもあり、戦争の雰囲気が濃い神社です。
護国神社と思うと近い末社に白山がありますが、中入ると戦時中の慰霊写真が沢山あります御朱印をお願いに社務所行くと「あーハイハイ」って顔されて対応された気持ちは分かります、只顔に出すのはなと。
形原あじさいの里からコミュニティバスに乗って、形原神社バス停へ。
大きな鳥居を潜り、鬱蒼と茂る木々の中の参道石段を上がり、広い境内に到着すると、清々しさを感じる。
訪れたこの日、夏祓いの祭事で朝から氏子さんたちが忙しく準備をしていて、そんな中でお参り。
事前に連絡をしていたので、宮司さん?に御朱印をお願いし、お忙しい中、感謝✕2。
山の中腹にあり、鳥居から三河湾が見下ろせました。
とても歴史のある神社で白山神社も隣に奉られ、戦争での戦死者(軍人)の遺影が掲げられていました。
馬神の像は素晴らしいもので、この神社を象徴している像でした。
階段を登った先には、広い境内、青い空、深い緑の山々🌄振り返ると遠くに三河湾🌊訪れて良かったなと感じる場所です。
3/29桜祭りの旗を見かけたので行ってみました。
ちょうど見頃でとても綺麗でした。
山頂まで5〜10分位歩きますが、素晴らしいですので是非行ってみて下さい。
なだらかな坂なので、ゆっくり行けばご年配のかたでも大丈夫だと思います。
下の休憩所で(保存会の方かな?)お茶とお菓子の無料接待をしてくださっていました。
たまに朝の散歩でお参りします。
「延喜式神名帳」三河国宝飯郡六座ノ内形原神社。
「日本総国風土記」形原神社圭田三十五束、皇極天皇壬寅(六四二)十二月、圭田を奉り、神札を加う。
「参河国神名帳」從四位形原明神。
「神社古記録」舒明天皇(六三〇‐四一)時、東夷鎮定の対象藤原千万、この地に駐屯、将士荒地開拓し、山麓に埴安神を祀る。
千万都に帰った後も祭祀料二石を奉献する。
皇極天皇形原神社の社号を賜り、村落を雲見宮内の庄と称した、寛永十六年(一六三九)三月、領主松平三十郎祭田二石を寄進す。
明治五年十月、郷社に列し、大正四年十一月九日、供進指定社となる。
大正十二年八月十七日、県社に昇格した。
昭和二十年一月三河地震による社殿の被災、戦争中供出の金銅物、同六十年までに旧に復した。
(神得)鎮火、厄除、土に関する事業。
全国唯一の土の神を祀る。
桜の時期は神社の周りの山に桜の木が沢山有りお花見も出来ます。
YouTubeひでよし部長チャンネル神社で動画も見れます。
祭神は埴安神、天照皇大神、品陀別尊、朝廷別王神、天児屋根命 で、例祭日は4月第1日曜日。
境内には雨止みを祈願したという白馬像がある。
4月に入り本殿左手の道を神社の背にある大沢山中腹に向かって行くと、山の斜面に100本の桜が咲き競い、眼下に形原の街並みが一望できる桜の名所。
御朱印頂ける。
山裾の神社です。
小高い山の上にある神社さんです。
結構急な階段を登らなければならず、息が切れました。
社務所にて御朱印を頂きました。
式内社形原神社。
藤原氏の時代に奈良春日明神を合祀。
やはり早すぎた。
4月4日5日は、さくら祭りと神社のお祭りてす。
名前 |
形原神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0533-57-2871 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
立派な一の鳥居が気になるお宮さまです。
縣社の石碑から、参道階段や灯籠も立派で、何よりもご本殿、拝殿が壮厳です。
丁度、夏祓(日本国では、毎年6月30日に、その年の半年に身に溜まった穢れを落とし、残り半年の息災を祈願する神事のこと。
神社には人の背たけよりも大きな茅の輪が据えられ、参拝者はここをくぐって厄除けを行います)にお詣りできました。
合わせて、昭和天皇の三河湾の御歌碑や、先の戦争の御英霊がお祀りされています白山社と、東郷元帥揮毫の忠魂碑、三河地震の慰霊碑もありますので、是非ともお詣り下さい。