左側に堅牢地神(けんろうじしん\u003d大地の神...
街山(つじやま)八幡社と梅園稲荷社。
公民館らしき建物が本殿のすぐ隣にある。
なかなか気持ちの良い神社。
右側に下る坂道があり、車はここから出入りするのだな、と興味にかられて進むと、なんと、梅園稲荷社があった。
ウメ女さんがお稲荷さんを崇めると霊験を授けられて(お稲荷さんを忘れてかな)喜び気ままに過ごす。
すると、お稲荷さんに怒られて、なんだかんだで稲荷社を建ててお祀りした。
昔話のような展開。
ウメ女さん、人間味があってイイね!さて、このお稲荷さんは勝負ごとに御利益があるそうだ。
競馬、競艇、競輪。
宝くじは勝負ごとなのかな。
というわけで、お稲荷さんも忘れずに。
お祭りの写真を撮りました。
☀️☀️😵💦
鳥居をくぐり階段を登ると、掲示板に隠れているが、左側に堅牢地神(けんろうじしん\u003d大地の神)の碑が有る。
頂上まで来ると、左側、手水舎前に丸みを帯びた長細い「力石」が有る。
明治時代に力比べをした際の記念に置かれたという。
石段を男坂、斜面の坂道を女坂というらしい。
女坂は、社殿広場から深い森の中を通って道路に通じる。
雨水を貯めるためか或いは飛散を防ぐためか、社の軒から下がる鎖を小さなドラム缶の中に垂らしている。
八幡社だと神使が鳩で、向かい合わせの鳩で八幡の八の字にするが、ここではそれは見られない。
街山(つじやま)八幡社の由緒は、鎌倉・南北朝時代の武将 新田義貞三男の義宗(?-1368)が護持していた八幡大菩薩の像を、地頭の竹ノ下小次郎が室町時代応永年間(1394年〜1428年)に、霊水池(女坂を下ってすぐ近くの場所)のほとりに祀ったのが始まりといわれる。
安土桃山時代天正5年(1577年)の記録には「矢部鎮守街山八幡宮」とある。
江戸時代中期享保2年(1712年)社殿を新築、安永3年(1774年)内外両殿を修理。
江戸時代後期天保14年(1843年)、現在地に社殿を建てて山上から遷宮し、旧社地には神明社をおき末社とした。
社殿には安永3年及び天保14年の棟札があるという。
当時は本覚院が当社の別当を務めていたが、明治初期の神仏分離令により本覚院を廃寺とし神社に転じた。
その名残が、鳥居前階段脇の本覚院不動明王尊堂。
新田義宗が持っていた八幡の像を奉祀して創建したと伝わっている。
扁額を含め本殿に施された彫刻は見応えのあるものが多かった。
子どもの頃からお世話になった神社。
時代が移り変わったとしてもこの神社は変わらない安心感がある。
一刻も早いコロナの終息を祈願した。
日本、世界に平和な日常が戻ってきますように。
度々お世話になっています ありがとうございます。
雰囲気の良い神社。
矢部町、鳥が丘地区の氏神様です。
村の鎮守ですね。
徳川8代将軍の妾の方に由来するところらしいです。
案内版読みましたが難解でした…
名前 |
街山八幡社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
厳かでゆったりとした神社です。