名前 |
大応国師産湯の井 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
説明書よりーーー静岡市指定有形文化財(史跡)大応国師産湯の井指定年月日 昭和三十七年十月十九日所在地 静岡市井宮町八十六番地円通大応国師(南浦紹明)は一二三五年(嘉禎元年)旧駿河国安倍郡井宮村に生まれた。
五歳のとき服織村の建穂寺に入り、浄弁法師のもとで学び、鎌倉の製道隆禅師のもとでの修行を経て、中国(宋)に渡り臨済禅を修めた。
帰国後は鎌倉の建長寺や九州太宰府の崇福寺等に住山し、大徳寺を開山した宗毖超や妙心寺を開山した法孫の関山慧玄をはじめ、多くの弟子の育成に努めるなど、臨済宗の普及に功があった。
この井戸は、国師誕生のとき産湯の水を汲んだものと伝えられている。
国師の遺跡として、郷土に残っている唯一のものである。
平成十三年八月 静岡市教育委員会ーーー大應國師 誕生の井戸國師は嘉禎元年(七百十五年)静岡市井宮に生まれ幼にして羽織建穂寺に得度し鎌倉建長寺蘭渓流道隆禅師に参禅す 後二十五歳の時入宋し径山の霊堂知愚禅師の法を嗣ぎ在宋九年帰朝後は各地に寺を創し徳化四方に普く七十四才鎌倉に示寂す國師は宋國より茶の方式を傳え今日の日本茶道の渕源は實に國師の賜なり因に井宮の地名はこの誕生の井戸の傳わると謂れ維新当時迄は井戸の傍に圓通庵なる小寺ありたり御宇多天皇勅して圓通大應國師と諡さる昭和二十五年十一月 静岡市。