信濃国埴科郡海津(現・長野県長野市松代町松代)にあ...
日本百名城の一つ松代城跡元々は「海津城」と呼ばれていた輪郭式平城です武田信玄公の信濃侵攻の拠点城郭として武田家の軍師山本勘助によって築城されたようです関ケ原戦後、幕末まで真田家の居城となっており100名城のなかでも穏やかな雰囲気の城跡です内堀より中は総石垣で囲われ、可能なかぎり当時と同じ工法で積みなおされているおかげで野面積みが多いですが石の一つ一つは結構巨大なものが多く見ごたえがありました特に、色々な形の石が緩やかに積み上げられた二層櫓 の戌亥の櫓が高さ、勾配ともに見事に積まれています千曲川が城まで迫っていたことを伝える土塁が復元されているところが当時の状況を感じられ、復元された長野市さんはセンスあるなぁと感心しました。
元海津城。
真田家が明治まで治め、廃城後は度重なる火災や地震、耕地化、園地化を乗り越え現代技術により本丸跡が再建された城跡です。
観光目的としては近くに真田邸や真田宝物館があり名物の和菓子を頬張りながらのんびりと散歩するには良き城跡です。
土塁に空堀、石垣は復元された物ですが、江戸期の建築物遺構が多く残る様でこちらの保存にも尽力して頂きたいですね!城郭ファンにはちょいと物足りない城跡だと思いますが、Googlemapで見る真田宝物館脇のうっすら浮かび上がる武田流築城術の三日月堀跡がうっすら浮かび上がってるのが浪漫を感じますね♪
きれいに復元整備されています。
大きな石垣や天守閣があるわけではないので、特に城好きではない方には面白味は少ないかなと思います。
周辺の川中島古戦場跡や小さな城下町ですが、松代城下の真田氏や家臣の屋敷や宝物館と合わせてのんびりと見てまわると良いと思いました。
夏休みに行きましたが、観光客も少なく城下町の雰囲気が楽しめました。
日本100名城のNo.26です。
このお城を見た第一印象は「平らな城」です。
高麗門や櫓門は復元されましたが、二階櫓のような高い建物が無いし本丸跡も矩形なので、お城というよりは居館という感じがしました。
このお城は川中島の合戦の時に武田信玄が築いた海津城が前身だそうですが、それならば武田信玄も滞在したお城ということになりますね。
それにしてもこのお城を見ていて気になるのは、その海津城を今日のような近世城郭に改修したのは誰かということです。
森忠政でしょうか?それとも真田信之?それについてはパンフレットや冊子を見ても全く書かれていません。
よく分かっていないということでしょうか?現在城跡で残っているところは本丸と二の丸の一部だけですが、とてもよく復元整備されていると思います。
今後更に整備する計画はあるのでしょうか?もしできれば戌亥櫓を復元してほしいと思います。
松代城(まつしろじょう)は、信濃国埴科郡海津(現・長野県長野市松代町松代)にあった日本の城。
城の形式は輪郭式平城。
上杉謙信と武田信玄が川中島で戦いを繰り広げていた戦国時代、「海津城」(かいづじょう)・「貝津城」と呼ばれていたそうです。
また「茅津城」(かやつじょう)とも言われたそうで、茅の生い茂った地だったとの説も。
遺構として、石垣、土塁、堀が残されています。
野面積みの石垣がとても素敵でした。
千曲川が流れる天然の要塞、絵図を基に復元された本丸の一部の建物や、二ノ丸の土塁や堀など、当時の様子が蘇っています。
空の青と緑の芝生が張り巡らされた様子がとても鮮やかで目に焼き付いています。
江戸時代の松代藩の城があった場所。
信玄・謙信の川中島合戦の時代には、海津城として重要な拠点になっていた場所でもあります。
最近になって門や石垣などが修復され、城跡は公園のようになっています。
石垣の上に登れるようになっている場所があり、そこからは城の全景と遠くの山並みが広々と見渡せます。
元々は海津城で、武田信玄が北信濃の支配拠点として築城し、川中島の戦いなど上杉謙信としのぎを削った地域で、武田家として重要な城でした。
武田 織田 上杉 徳川と領主が代わるたびに目まぐるしく城将が入れ代わりますが、真田信之が入封して以降、明治維新を迎えるまでの250年間、松代藩真田家が支配しました。
城跡は綺麗に管理され、堀跡や土塁や石垣など見所満載てす。
松代大本営のすぐ近くだったので寄ってみた。
大型の無料🅿アリ。
綺麗に整備されており歴史に全く興味のない自分でも思わず探索。
後で思ったのだが、松代城🅿にまずクルマを置き①松代城公園②真田宝物殿③象山神社➃松代大本営 の徒歩ルートもよかったかも。
真田信之が上田城から移封されて以降、廃城まで真田家の居城だった平城🤗 信之って信繁(幸村)の兄上だよね❓️🤔 お城全体の復元ではなく、本丸に櫓と石垣、土塁、水堀の復元だよ😉 もともと天守閣を持たない館型のお城だね🤗 綺麗に整備されてるよ😉 開門は9:00~17:00入館料は無料、目の前の駐車場も無料🤗 見学は一時間もあれば充分🤭 お城の南側には観光協会(御城印)真田宝物館、真田邸(百名城スタンプ)等があり一日楽しめるよ🤗 近くに温泉もあるし😉
松代城の本丸跡地になります。
真田氏の居城で戦国時代は海津城という名前だったとのことです。
堀や石垣が残っていますが、本丸などの建物は無く、跡地が広い敷地になっています。
門は一部が再現されています。
無料駐車場は近くにいくつかあります。
長野インターチェンジから近いです。
住宅街のようなところに入っていくので、歩行者には気をつけましょう。
入場は無料です。
中はきれいに整備されています。
史跡めぐりの場所ですので、入り口の看板に書いてあるとおり、ペットは不可、飲食も不可です。
本丸城跡地は特に何かあるわけではないですが、石垣に階段を通して登ることができます。
ここからは石垣の上から本丸城跡地や千曲川方向の景色が良いです。
◎松代城跡は綺麗に整備された公園。
戦国時代の雰囲気を楽しんだり、散歩したりするのに適した場所。
別名『海津城』◎お花見の時期には休日でも意外と人が多くなく、本数こそあまり多くないが桜をとても身近に楽しめることが出来る。
◎夜間のライトアップや太鼓門へのプロジェクションマッピングの投影など季節ごとにイベントもある。
『入場料』無料天守閣は復元されていませんが、石垣などは復元されています。
本来天守閣のある場所には桜の木が沢山あるので、桜の季節は綺麗そうです!どちらかと言うと、整備の行き届いた公園って感じなので…城好きには物足りないかな。
100名城のお城🏯長野駅から車で約15分くらいでした💡新年に立ち寄ったら雪でお堀が凍ってた☺️☃️近くに真田邸もあり、トイレも使えて無料駐車場もあって良き✨ありがとうございます😇
真田家ゆかりの城であり、元は、武田家の海津城。
戦国ファンなら、是非訪問したい城のひとつ。
石垣とともに、土塁も楽しめる。
場所的に、公共交通機関での訪問は、長野駅からバスとなるので、少しだけ不便。
真田家の松代城に到着~(^^)。
二の丸南門側から入城し、再建された太鼓門前橋を渡り、太くて長い欅の冠木を使った太鼓門をパシャリ🤳。
本丸内部を散策し戌亥櫓台から、素晴らしい全景をパシャリ🤳\(^-^)/。
その後、北不明門から二の丸側へ出城し、石垣、土塁埋門、全体をパシャリ🤳して終了~(^^)。
森長可、忠政、酒井忠勝、真田信之(幸)等と有名武将が入城していたことにもびっくり~😲。
ここまで綺麗に整備されて、ととのえられた城は、全国を見てもそうそうありません。
松代藩十万石のお城として、とても立派に管理されており、このお城が地域のみなさんに愛されているのが誰にでも伝わる空間です!とってもステキなお城でした!!
アクセスは長野駅からバスで、廃線になった旧松代駅から近いです。
駐車場も近くにあり、周囲は文化施設も点在しています。
肝心の天守閣こそ残っていませんが、石垣とお堀の一部は残っていて入口はそれなりに雰囲気あります。
また桜の季節にはキレイなんだろうなあというのは感じました。
特に入場料などはかからず、おそらく24時間フリーに出入りできると思います。
百名城の一つ。
真田ゆかりの城で念願が叶いました。
天守閣は無いですが、前面の堀と後面の石垣、土塁が非常に見事な形で残っています。
城内には桜の木が多く、春は最高だろうなと思いながら散策してました。
城も含めて、松代の街は雰囲気良く整備されていて歩いてて楽しかったです。
百名城スタンプはここではなく少し歩いた真田邸前に置いてあります。
合わせて行きたいところなので問題はないないかと。
城自体の所要時間は30分もあれば十分。
真田ゆかりのスポットを楽しむなら一日使うつもりで寄っても良いかもしれません。
公共交通機関でのアクセスは長野駅から松代行きバスで旧松代駅まで40分弱。
駅からは徒歩5分くらいです。
城だけだったら近くに大きい駐車場もあるのでほとんど歩かずに済むと思います。
5月25日 午後、久しぶりに城跡に、いきたび、道がよくなり、密もなし、のんびり街を散策、なつかしい感じがしました。
観光業界は大変ですね、おみやげ、御城印、買いました。
草刈り お疲れさまです。
大切にしてください、また、いきます。
松代藩(真田氏)の居城。
川中島の海津城といった方が戦国ファンには馴染みがありますね。
天守閣はありませんが、堀や石垣、門などがあり、ゆっくり散策できます。
無料駐車場あり。
石垣がとても綺麗でした。
まわりの風景なども最高で観光地だけじゃなく地元の憩いの場所としても良い所です。
とても整備されて綺麗な城跡です、写真を撮影する際も側の山並みが映り込む為撮影場所に良いです。
松代城 長野市 2021/03/31東京は葉桜になりつつある頃に、長野は桜が満開。
松代城は元々は海津城(かいづじょう)と呼ばれていた輪郭式平城。
桜の木が多く桜の季節は非常に綺麗。
コロナ渦前に訪れた長野県の桜の名所の一つです。
桜の見頃は4月上旬~中旬、4/15前後が例年の見頃と思われます。
例年桜祭りがおこなわれますが、コロナ渦で、昨年は中止、今年は、規模を縮小して2日間だけ行われるようです。
城門の左右を桜並木が続き、園内も見頃時には、一面の桜で梅尽くされ、圧巻の一言。
お勧めは展望台からの眺め。
桜の絨毯をみているよう。
桜の見頃を当てるのは難しいですが、一度は訪れたい桜の名所です。
戦国時代、長野県北信地区を舞台に繰り広げられた『甲斐・武田信玄』VS『越後・上杉謙信』は都合五度の合戦を交えましたが結果はドロー。
中でも四度目のいわゆる『川中島合戦』は、『武田軍』布陣の『海津城』(当初は砦位の規模でしたが、後に『真田家』によって『松代城』が築城されます)と、『妻女山』に陣取った『上杉軍』の睨み合いから始まります。
両軍にとって『信濃』は戦略的攻略地でしかなく、田畑民家を巻き込んでも勝てば良い! 筈なんですが、農民の苦労を知る『信玄』『謙信』共に荒れ地であった『千曲川』と犀川』の合流部、『川中島』を決戦の地とします。
『武田信玄』の有名な言葉に『人は城 人は石垣 人は堀』というのが在ります。
普段農耕に従事している『足軽』級にも手厚い施しをして信頼を集めていました。
故に田畑を荒らす事が偲びなく、河川氾濫で荒れたこの地を戦場に選んだと思われます。
『上杉謙信』も然り。
『敵に塩を贈る』でその人柄が覗えますが、同じく『足軽』の多くは農民であり、米の収穫期を間近に控えた為に闘い半ばで引き揚げます。
詳しくは『甲陽軍鑑』参照。
今では『真田氏』築城の『松代城跡』が公園として整備され、専用無料駐車場、トイレなどが利用できます。
北アルプスまで見渡せる展望台も在り家族向けの公園ですが、犬の散歩やボール遊びは控えた方が宜しいかと。
ゴミ箱等の設置も在りません。
自宅までお持ち帰りが鉄則です。
ゆったりした時間を感じられる広々した公園ですが戦禍の末の平和で在る事をお忘れなく。
昔々、小学校の遠足で来て以来かな‼️何だか立派になっちゃってお城らしくなっていてビックリ。
御城印は観光案内所で頂きました(300円)スタンプは真田邸で頂きました(無料)天守閣も再建できたら( ≧∀≦)ノね。
真田幸村の兄 信之(大河ドラマ真田丸では大泉洋が演じた)の居城跡旧くは武田信玄が山本勘助に命じて造らせた海津城が始まりで、上杉勢との攻防において重要な役割を担ったお城。
現在は天守はないが、城跡としてとてもきれいに整備されている。
松代城跡、海津城跡、広く公園のようになっていましたが、箇所箇所に門があり城跡を思わせます。
公園としてもキレイに整備されていました😌 桜の時季にはキレイなんだろうなぁ🌸 歴史に興味無くても、のんびり散策するには良いかと思いました😁
とても 良く 整備されて 綺麗でしたね😉 石垣の、石 一つ一つが、 大きいですね しっかり 積み上げられていました 大きな 柳の木、銀杏の木、 見ごたえ 有りました お堀の 鯉が 大きくて 水も、 綺麗でしたね。
武田信玄が山本勘助に築かせたお城で海津城と呼ばれていた。
1622年、真田信之が入った後に御殿が作られ藩政の拠点となったそうです。
真田信之は真田幸村の兄です。
徳川四天王の本田忠勝の娘を正妻に迎えています。
遺構として石垣が残っています。
石垣を整備し、堀と土塁、堀、太鼓門などが復元されています。
今年は、桜が早く、もう満開です。
地元小学生が作った案内がトイレの近くにあります。
分かりやすい解説なので、一読してからの見学がオススメです。
松代、全部、歴史に、溢れた、素晴らしいところです。
写真が、すべて、しようめいしています。
お城の最終防衛ラインのお堀ですちゃんと残っているところなので、後世に残していきたいとこです。
名前 |
松代城跡 |
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ジャンル |
|
電話番号 |
026-224-7013 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
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川中島古戦場跡から、車で10分程と比較的近い場所にある松代城は、真田氏縁の城跡です。
明治の廃城に伴い、お城は取り壊されましたが、今は櫓門、石垣、お堀等が復元されています。
入園料と駐車場は、無料です。