梶原景時の神社と言っても過言ではない。
参道を行くと朱色の素敵な社殿。
清らかな風が吹いていました🍀
春、桜のお彼岸チュウニチ。
椿が一本の樹木から紅白の花が咲いていた。
参拝時には、鳥井から進入しお参りしています。
鳥居から参道は自動車で出入りが出来、両わきには民間があります。
この地区の氏神様で、八王子神社とともにとても珍しい二重氏神様で、由緒ある神社です。
駐車場ありますが大きい車は途中が厳しい状況、コンパクトカー程度なら楽々鳥居を潜れます不思議な事が起こる神社です。
丁寧に御朱印を書いて頂きましたありがとうございました。
なにかと忙しく行けなかったですが、やっと行くことができました。
今週もよろしくお願いします❗
2020年12月、ロードバイクにて御朱印巡り。
創建は、鎌倉時代はじめで歴史ある神社です。
境内は、広くないですが、静かな雰囲気の中で参拝する事ができました。
御朱印は、神社左側の宮司宅にていただきました。
城山大橋近く立派な鳥居抜ける先に鎮座してます広めの境内は無人で宮司さん宅で御朱印の対応して下さいます。
とても厳かな感じがして気持ちがスッキリします。
細い住宅街の道を行くとある神社。
スーパーへ行った帰りにナビで見かけてお参りさせていただきました。
比較的小さな神社ですが落ち着いた雰囲気が素敵でした。
立派なお社です!
小高い丘にある神社。
境内から八王子市街側が見えました。
大きな神社です⛩ 山のってっぺん すごい気が、感じます 本堂は大きくて良いですね大木切った後の香りも良い 杉の香りも好みです。
立派な神社でびっくりしました。
地元の八幡様ですが、初めて訪れてみました。
境内は良く整備清掃されていますしトイレも綺麗でした。
参道の左右の桜の古木が綺麗です。
参道は車で通れますが、道が狭いので要注意です。
駐車場もありますが数台分です。
御朱印は境内外の宮司宅で受領できます。
宮の前信号の所に有る鳥居の横に、郷社八幡神社の石柱が建っている。
その土台石は、出羽山砦の庭石を使った物である様です。
参道を行くと大杉の切り株と、神木梶原杉の碑が建っています。
境内への石段は、寛保3年に田所周庵が、寄進したものです。
左手に行くと駐車場ですが、私の小学校生の頃は、其処に矢場があったのです。
境内の手水や神楽殿も新しくなっています、手水の近くに大きなお灯篭が、有ります。
此れは以前、元八王子町の境である、通称出口に有ったものを移したのです。
社殿は、手入れされています。
本殿の上に古い額が挙げられています、社殿が再建させた際に、奉納された俳句が並んでいます。
此の地では、俳句が盛んだったのです。
以前のお祭りの時には、葦簀の中に人々の俳句が飾られていました。
江戸時代の女流俳人、松原庵星布の流れを引く人々が詠まれた俳句なのです。
城東会と名付けられた、俳句の会でした。
裏山にも御末社が有ります。
此処から尾根伝いに恩方町に通じる山道は、高速道路で無くなりましたが有りました。
社務所の梶原さん御宅の裏に、慈根寺(じごじ)と言う古刹が有ったのです。
明治の廃仏毀釈で廃寺に成りました、大きな池がありました、古井戸もです。
この池の水は、枯れる事が有りませんでした。
高速道路の橋を渡ると墓地が有ります。
神道に成りましたが、古い墓塔には戒名が刻まれています。
慈根寺(じごじ)を支えた人々の中に鎌倉御家人梶原氏がいました。
梶原氏はこの地と関係が深いのです。
八王子市との合併で市制が変更されるまでは通称慈根寺と呼ばれ、元八王子村の大字でした。
慈根寺は梶原八幡宮の神官である、梶原正統氏のお宅附近一帯で現在、本堂跡は中央高速道路が通っている。
慈根寺は正暦(990~995)の頃よりあった寺で、藤原氏の京家の出自の元杲が開山となっている。
船木田庄内の藤原氏の寺として建立されたと思われる。
この寺は明治の廃仏毀釈で廃され、有りません。
此の寺で活躍した鎌倉末期から南北朝初期の僧儀海については、拙稿「真言僧儀海の足跡」を参照されたい。
梶原八幡宮は建久2年(1191)鶴ケ岡八幡宮が正遷座のときに、梶原景時が古い御神体を賜い、この地が景時の所領の地ゆえに、鶴ケ岡に似たところを選び鎮座したという。
この時慈根寺は梶原八幡宮の別当寺とされ慈根寺山西明寺となった。
慈根寺の所領は景時の母(横山庄の別当横山孝兼の娘)の持参の地であった。
この孝兼は和田合戦で滅んだ横山時兼の曾祖父にあたる。
梶原景時は正治2年(1200)10月、新将軍源頼家に結城朝光を、異心を抱く者として讒言したことから、三浦・和田その他、重臣の憤りをまねき、景時一族は鎌倉を追放された。
景時は源氏の一族武田有義を将軍に擁立を計り上洛を企てたが、駿河国狐崎で在地の御家人の為に殺され一族は滅びました。
景時の長男、景季もこのとき父と運命を共にした。
景時の次子、平次景高の子景継は三代実朝嗣職の後、再び召されて鎌倉幕府に仕えた。
また景時の三男景茂の子孫は室町時代には近畿、さらに阿波国、讃岐国へも広がっていったのです。
今書いている詩(2)「待つ」 たろうくんは立ち続けている 宮ノ前の鳥居の傍の 八幡神社と石柱に彫られた 処でじっと待つている 夕闇が近づく頃 遠くにお母さんの姿が浮かぶ たろうくんの顔に嬉しさが広がる お母さんは浅川駅から2キロの 山道を不自由な足を 引きずりながら帰ってきた 働き過ぎで「茶目」と言う眼病に なったお母さんは たろうくんを見つける ビックリ眼をしばたたせて 嬉しいのだが切ない思いが込みあげる 自動車で宮ノ前を通るたびに 太郎君は娘に言う 「お父さんは此処でお婆ちゃんを待っていんだよ」 娘は「またお父さんは言っているね」と母を見る 健やかに成長した娘は 来年に彼氏と同棲するために アパートを探している この地も候補にあるらしい 娘の子供も太郎君のように 此処で待ち続けるのだろうか 娘の幸せを願う私がいる。
八王子市元八王子町3丁目〔八幡神社〕に芭蕉句碑がある。
さまさまの事おもひ出す櫻かな 句は貞享5年(1688)の作で、〔笈の小文〕所載。
いい神社です。
静かで気持ちが良いです。
梶原景時さん、ありがとう。
あなたがどんな性格の人でも、我が故郷にこんな素敵な社を残してくれた事に感謝します。
名前 |
元八王子八幡神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
042-661-2369 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.3 |
梶原景時の神社と言っても過言ではない。
付近には梶原城や梶原杉があり歴史を物語っている。
私の産土神ですがのんびりした神社で気持ちが安らぐ。