能登の古墳時代をしるための貴重な遺跡。
50から70才の爺さん18人で行きました。
あいにくの雨で、館に入ろうか話していたら館の管理人さんが傘を貸して下さるとのことで左回りに古墳へ 帰りは100段の階段を下りました。
帰り際 管理人さんが高貴な方が、来られると雨が降ると‥私の事かと(笑)
雨の宮林道、大型車は通行できません。
大型車は、別な道があるので、雨の宮古墳群及び、王基の館に向かうことができます。
この件に関して、道路管理者である町には連絡済みです。
トンネルを抜けるとすぐ看板があり雨の宮古墳に向う道路があります看板の向い側の入口の道路です矢印が薄いので間違いやすいです展示資料館で館長さんに古墳の説明をして頂きました入館料は大人200小人100円資料館裏から大きな1号2号古墳を見学に行きました入口まで4〜50段の階段を登り、獣除けの柵を入ると古墳全体が現れます綺麗に整備されていました大小幾つかの古墳も混在していました。
雨の宮古墳群は、眉丈山(標高188メートル)の山頂を中心に、4世紀の中頃から5世紀の初めにかけて造られた36基の古墳からなる古墳群です。
見応えたっぷりですし、天気良い日は眺望も楽しめます。
最高所の通称雷ヶ峰に位置する1号墳は、墳丘長64メートルの前方後方墳としては県内最大規模を誇っています。
墳丘は2段に築かれ、斜面は葺石に覆われています。
2号墳は、1号墳の北東に、向き合って立地する墳丘長約65メートルの前方後円墳です。
こちらも墳丘は2段に築かれ、斜面は葺石で覆われています。
これら2つの古墳の被葬者は、古墳の規模・副葬品の内容などから考えて、いずれも能登一円に支配権を及ぼした人物であったと推定されます。
雨の宮古墳群は、古墳時代のこの地域の歴史を考える上で、邑知地溝帯を挟んで対峙する、小田中親王塚・亀塚古墳とともに欠くことのできない重要な文化財です。
雨の宮古墳群(あめのみやこふんぐん)は、能登半島中央部、石川県鹿島郡中能登町にある古墳の集まりをいう。
国の史跡に指定されている。
概要1号墳(前方後方墳)、2号墳(前方後円墳)を中心として、眉丈山山中に約40基の群を形成している。
1号墳墳頂には国土地理院の三等三角点(雨宮山と命名)があり、標高187.95メートルを測る。
この墳頂部は通称、雷ヶ峰(らいがみね)とも呼ばれる。
1号墳・2号墳は眺望に優れ、七尾湾・石動山系・邑知潟地溝帯・日本海を一望できる。
1号墳・2号墳は、雌雄両亀の潜む所で、天日陰比咩神の御陵といわれていた。
1号墳の前方部にはかつて天日陰比咩神社(俗に雨の宮という)の社殿が建てられていた。
天日陰比咩神社は延喜式の神名帳に記載されているが、その式内社がそのまま現存の神社に相当するかは断定できない(中能登町二宮にも同名の神社がある)。
また1号墳後方部墳頂にはかつて相撲の土俵が設けられ、奉納相撲が行われていた。
【Wikipedia】
石川県にこんなに古墳が集積している場所が有るとは知りませんでした。
駐車場からは、ちょっとしたハイキングのような感じでお子さまでも楽に登れる古墳です。
古い時代の円墳・前方後方墳・前方後円墳と教科書で習う古墳が一ヶ所に集積していて、資料館では古墳の発掘当初の様子がわかるレプリカもありました。
古墳への道は登山道として整備されていて、下草等もきれいに刈り込んであり皆さんが丁寧に管理されている所もとても素敵だなと思いました!古墳時代の勉強に丁度良い!!
これだけの古墳群、大陸との交流が盛んだったんだろうなぁ🎵
多くの古墳があり、古墳巡りをすることができる。
動物が侵入しないよう入口出口に柵がある。
見晴らし良し。
能登の古墳時代をしるための貴重な遺跡。
資料館(200円)も見学したほうがよい。
初めに言っておくが、我が富山にも4世紀前半の築造と推測される柳田布尾山古墳と云う、全長107.5mの日本海側最大の前方後方墳があるのだが、葺石・埴輪がない。
そのうえ後方部が豪快に盗掘された結果なのか副葬品もない。
古墳公園としてきれいに整備はされているが、その他には円墳の2号墳しかない。
小矢部まで広く見渡せば関野古墳や若宮古墳など、この地域を治めた首長のものと思しき立派な古墳があるのだが、その数は能登半島に密生する古墳に到底敵わない。
ようやく到着した駐車場入り口にある小さな建物が資料展示館とは気付かずにトイレに見えたので、そのまま駐車場の一番奥に車を停めて、眉丈山を歩いて登って行った先に前方後円墳である2号墳があったけど、多分古墳群を逆に回ってしまったのだと思う。
予定では資料展示館から観ようと思っていたのだが相変わらずの「おっちょこちょい」ぶりだ。
もっとも、逆から回ろうがどこから観ようが、山の上に古墳が連なる光景は壮観だ。
2号墳の頂上に立てば、目の前には七尾湾から七尾城、石動山、遥か向こうには宝達山まで見通せる。
図らずも羽咋から七尾まで能登半島を横断するかのように走る谷間の平らかな地をこの古墳達は見下ろしているのだ。
まさに、この地形なればこその産物なのではないか。
最後に観た長さ64mの前方後方墳、1号墳では地元ボランティアの男性が女性見学者に一生懸命解説しておられたので少しだけお相伴にあずかり一緒に拝聴する。
このあと立ち寄った資料展示館でも別のボランティアガイドの男性が解説してくれたうえに、しきりに今年の長梅雨のお陰で草刈りが出来ずに、葺石が雑草に覆われてしまい写真と異なっていることを詫びておられたのだが、この暑い中にも関わらず、皆さんの深い地元愛には頭が下がる思いである。
そのくせ、2号墳の頂上からの景色が高く伸びた木々に遮られよく見えなかったと、つい口にしてしまった当方を同行した妻は図々しいと言いたげに睨みつけるのであった。
雨の宮古墳群は、眉丈山(標高188メートル)の山頂を中心に、4世紀の中頃から5世紀の初めにかけて造られた36基の古墳から成っています。
最も高い場所にある通称「雷ヶ峰」に位置する1号墳は、墳丘の長さが64メートルの前方後方墳で、県内最大規模を誇っています。
墳丘は2段に築かれており、斜面は葺石(ふきいし)に覆われています。
2号墳は、1号墳の北東に向き合って立地している墳丘の長さが約65メートルの前方後円墳です。
1号墳と同じ構造をしています。
これら2つの古墳に埋葬されている人物は、古墳の規模や副葬品の内容などから考えて、いずれも能登全体に支配権を持つ権力者であったと推測されます。
古墳時代のこの地域の歴史を考える上で、雨の宮古墳群は、邑知地溝帯を挟んで対峙している小田中親王塚、亀塚の両古墳と共に、欠くことのできない重要な文化財です。
1982(昭和57)年10月12日、国史跡に指定されました。
中能登町では、この古墳群を永く保存し活用していくため、1992(平成4)年から5カ年にわたり発掘調査を実施しました。
94年から文化庁の「史跡等活用特別事業」により、古墳が造られた当時の姿に復原しました。
北陸に完全復元された前方後円墳が在るとは驚き!また古墳の前方に左右一対のいしがきになる。
復元された古墳はなかなかのものです。
冬のどんよりした天気&博物館的なところも閉館していてその時人気が全くなかったので…車から降りることなく下山しました( ;∀;)駐車場から狭い山道を登ったところに古墳があるそうです。
またお天気がよい時か暖かい季節にリベンジしたいところです。
お薦めします。
一見の価値、大いに有り。
素晴らしい。
能登半島にこれだけの古墳が集中しているのには驚きです。
かなりの権力者が4世紀辺りから統治していたわけです。
今は中能登町になっている場所は七尾湾と日本海側を結ぶ水路、もしくは、水道だったと。
航海術に長け、交易で栄えていた往年の表日本を知るには充分な場所です。
整備された素敵な場所です古墳も大きくて太古の息吹が聞こえてきそうです。
雨の宮古墳群です。
想像以上に大きい。
わりと急な階段で上まで登れます。
国指定文化財の古墳に登れちゃうとか、ちょっと楽しい。
上からの景色はなかなか。
人も少なくて、ゆっくり静かに、悠久の歴史に思いを馳せるにはぴったり。
階段を登ったり降りたりは体力が必要でしたが、案外、楽しかった。
山の中だから虫が多かった。
できれば、虫除けスプレーと歩きやすい靴をオススメします。
名前 |
雨の宮古墳群 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0767-72-2202 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www.town.nakanoto.ishikawa.jp/life_service_local/3/3/1974.html |
評価 |
4.2 |
パンフレット見て立ち寄りましたが貸し切り状態でした!風が心地良かった、パワーを感じました!