能登富士-高爪山を神の山と仰ぐ神社です。
地震の後可多く残って!同じく加賀の前田家縁なのに可愛そう!神仏混合の影響と言うより、営業ですね!神主さんに観音様の御朱印勧められました。
この様な山中で頑張る神主様に5つ星差し上げます。
高爪神社たかつめじんじゃ石川県羽咋郡志賀町大福寺ナ58高爪山に頂上に奥宮あり当社は里宮祭神日本武尊であるが典型的な神仏習合の神社で恐らく奥宮には修験道者が登拝したのであろう。
奈良時代の創建と伝え、前田利家公が崇敬再建された、能登富士-高爪山を神の山と仰ぐ神社です。
里の社は60余段の石段をのぼります。
心地良い清浄な空間です。
神社と観音さまを祀るお堂が境内に有ります。
神仏習合の名残りで観音様は能登33観音霊場の26番札所です。
富来ー門前間、国道249号沿いに有る鳥居。
通る度に付近に神社らしい面影もなく不思議に思っていた。
調べて観ると近くに高爪神社が有り、その奥宮が高爪山にあること知る。
石川神社庁引用部にもあるように、高爪山は確かに綺麗な山で、機具岩付近からも識別出来、前田利家縁の神社でもある。
神社への参拝は車を駐車出来ませんので注意ください。
以下、石川神社庁引用由緒:高爪山は、山容の美しさから、能登富士と呼ばれています。
その頂上に高爪神社の奥宮が鎮座しています。
土地の人々は、「岳(だけ)」とか「岳山(だけやま・高く大きな山の意)」と呼んで崇拝してきた。
おそらく、原始頃から、神体山として仰がれていたと思われる。
やがて、農耕生活が始まり、大福寺・酒見川流域の野の民は農耕神として、また、浦の民からは航海神(近海航路の目標となって、加賀・越前沖からも姿見される。
)として、農・漁民など幅広い信仰に支えられていた。
こうした周辺住民の素朴な信仰の対象だった高爪山も、仏教の流入によって複雑なものに変わっていった。
神社由緒書に寄れば、『往古は、内宮・外宮・末社八あり、内宮を六社宮と称し、日本武尊・菊理比叱他四柱の神を祀り、外宮を高爪神社と称し、串稲田姫命・事代主命・日本武尊の三柱の神を祀るものにして、七院あり』と記し、『持統皇(17世紀)内外宮を国家安康の祈願所と定め、文武帝特に尊信せられ、大宝3年6月、正一位真蘇坊洞ケ岳大明神の勅宣を賜る』と伝えている。
最盛期には、数10人の神官・僧官が分立して、山麓に寺坊を建て、六柱の神(高爪大明神・気多大明神・白山妙理権現・伊須留岐権現・若王子・八幡大菩薩)を初め、山頂の祭祀を執り行った。
そして、これを管理支配したのが、蓮華光院大福寺で、いわゆる神仏習合の時代が長く続くのである。
しかし、明治2年、寺院を廃絶して神社だけの今日の姿になったのである。
一方、前田利家をはじめ、歴代の藩主の崇敬が厚く、社殿の造営や社領の寄進などを行った御印物が現存している。
特に、利家が十一面観音を安置して以来、高爪神社は観音堂としての信仰をあつめ、能登国33番観音霊所の第26番の札所として、今も観音講の信者の参詣が行われ、時々、御詠歌の合唱が杜から流れて来るのである。
附記(明治35年3月4日県社に列格)当神社には、国指定の重要文化財『懸仏(かけぼとけ)六面』がある。
鎌倉時代初期(1275年)のもので、かつては六社宮の本地仏である。
木造彩画で他に類を見ない形式だといわれ、正統な絵師が描いたものである。
前記六社の神名をはじめ、年記・願主が銘記されているので、高爪信仰を語る重要な文化財である。
名前 |
高爪神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0767-42-0781 |
住所 |
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関連サイト |
http://www.ishikawa-jinjacho.or.jp/search/detail.php?e7a59ee7a4be4944=1222 |
評価 |
4.5 |
地元の方(おそらく管理人の方)の協力により力石を発見する事ができた!さらに長年土の中に埋まっていたのを救い出す事にも成功!でてきた3個の最もでかい力石には刻字あり。
五十二メ 在間長松実重量139.7kg。
難易度の高い丸石なのでこれを担いだその人はどれだけの力持ちだったのか!恐るべし怪力だ!!!