島津斉彬が作った鉄を作る反射炉跡です。
鉄腕ダッシュでも建築された反射炉。
幕末の薩摩の財力と先進性を示す施設跡です。
世界遺産。
詳しい人によると、すごく貴重なお話もののようだけど。
詳しくない人も、気持ちいい公園として楽しめる。
桜島、そんなに近くないのに、すごい迫力で見えた!
島津斉彬が作った鉄を作る反射炉跡です。
上屋はありませんが土台だけでも見る価値があります。
静岡県の韮山反射炉は上屋も残っています。
2023年1月5日に訪問。
反射炉の復元はなく、基礎の跡だけ残っています。
案内板の背後にある石垣が遺構で、基礎は石垣の技術で組まれています。
反射炉模型はオリエンテーションセンターにあるので、ある程度構造をみてから跡を見ると理解しやすいかもしれません。
【7/9(土)_04_世界文化遺産_4/5_旧集成館(反射炉跡)_歴史を感じます】7/9(土)。
夫婦の鹿児島四日間宮崎三日間の旅行の二日目です。
仙巌園のなかにあり、割と小さいですね。
周囲を歩いていたら間違って中も歩いていました。
すいません。
韮山よりも早くにここで製鉄をしていたと思うと、胸が熱くなりました。
薩摩藩が鉄製の大砲を作るために使っていた反射炉が跡だけ残っています。
本体は大きすぎて砲撃で破壊されちゃったらしいです。
近くにあるオリエンテーションセンターで反射炉と大砲のレプリカ模型が見れます。
また、大砲の実物は尚古集成館に展示されています。
当時の復元は別の建屋でレプリカとして作製されてます。
島津斉彬が集成館事業として実施した国策事業である製鉄所の跡地です。
反射炉がどういうものなのかは近くにレプリカを展示した場所があるので、そちらで見るとよくわかると思います。
韮山反射炉のような煙突はありませんが、地下の構造が見れるのでこれはこれで貴重です。
世界の技術に追いつこうとしていたんだなぁ。
世界遺産登録の反射炉跡♪ここで造られた鉄は、洋式艦船の建造や大砲の鋳造に使われました。
島津斉彬の先見性を感じます。
ここで、薩摩藩が大砲を製作していたことが、あるみたいです。
その、土台だけが残っているんです。
なんのために!?
静岡でも反射炉見ましたがここは土台だけです。
島津斉彬は国を護るインフラ整備と新事業の工場群を「集成館」と名づけて力を注いだ。
その中でも「反射炉」は金属融解炉の一種である。
18世紀から19世紀にかけて鉄の精錬に使われた。
仙厳園に入ってすぐ左手側の丘に石組みの反射炉跡地(反射炉の土台のみ)が保存されている。
現存しているものとしては静岡県伊豆の国市韮山(韮山反射炉)、山口県萩市(萩反射炉)が挙げられる。
正面入り口を入ってすぐの所、石組みがすばらしいです。
建物はありませんが、20mの高さがあったそうです。
薩摩藩主 島津斉彬氏が西洋列強を防ぐために西洋の科学技術導入したことがきっかけとなった集成館鉄製の大砲鋳造に必要な反射炉一号機は耐火レンガが崩れ失敗に終わり二号機で鉄製の大砲鋳造が成功したそうです反射炉の周囲には溶鉱炉やガラス工場などの建屋が整備されたそうですが薩英戦争時に攻撃を受けて焼失後に再建されたそうですが明治10年に焼失世界遺産『明治日本の産業革命遺産』の構成資産になっている。
前に置いてある反射炉を見て、小さいなぁと思っていたら、模型だった。
1回300円のガイドツアーがあるので、教えてもらいながら見て回るのがおすすめ。
側に、4分の1サイズの反射炉のレプリカがある。
本当に薩摩藩が時代の最先端を見据えていた事が感じられる。
名前 |
旧集成館反射炉跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
099-247-1551 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
薩摩藩が残した反射炉です。
今は下の土台しか残っておりません。
反射炉の完全体がオリエンテーションセンターに展示されているので、それを参考にして見るとわかりやすいと思います。