島津藩の歴史を知るなら、まずココへ?
仙厳園付属の歴史博物館です。
幕末―明治の工場を改造して使っており、雰囲気は抜群。
島津の由来から幕末、明治に至るまでの歴史を豊富な資料で解説しています。
運営元が公立の博物館ではなく、島津家の運営する島津興業なので、島津忠久が源頼朝の庶子である説に対する真相は書かれていなかったり、琉球のまーらん船を中国式にジャンクと呼びならわしたり、鹿児島中心史観で構成されています。
ただし、最後の薩摩藩主島津忠義が明治維新による廃藩置県に反発を示していたりと一方的な明治維新の礼賛ではない所はさすがでした。
歴史講座も充実しています。
講座室が照国神社にある島津斉彬・島津久光のブロンズ像の原型になった石膏像に見つめられながら受講できるのは迫力があります。
ただ、黎明館と違って、歴史講座のスケジュールを年度初めではなく1か月前などに発表するので、シフト勤務で調整が必要な方や、遠隔地の歴史ファンなどで飛行機や新幹線・特急・バスの早割が必要な方には少々不便かもしれません。
講師の学芸員の方はサービス精神が旺盛で、割とマニアックな質問にも答えてくれますし、頑固っぽいご老人に『昔我々が足利尊氏像だと信じていた肖像画が最近の学説では違うと言われた。
こういう間違いはどうして起きるんだ』という専門外のクレームっぽい質問にも諫めるように対応していたのが印象的でした。
副館長の学芸員の方はたまにTVの歴史講座で薩摩藩の特集をすると出演されています。
巨大なソテツが中央庭にそびえ立ち、歴史ロマンスを感じる建物。
中は撮影禁止の為、説明だけですが、2~3月は歴史的な雛人形が展示されておりますので、是非覗いて見る価値あります。
不思議な感じがした。
いつの世も、先見の明がある人がやはり居る物だな、と改めて感嘆する。
安泰な立場にありながら、常に危機感を持ち、その先にある国の在り方すら考えている。
不思議な感じがしたが、、、よくよく思えばこの人は天才なのだ。
凡人には分からないし、そもそも考えもつかない。
島津斉彬。
こんな天才が居て日本が植民地に成り下がらず、逆に欧米列強に並ぶ国になっていく。
本当に、一人の天才が成し得る叡智と言うのものは……凡人の100万人の知恵と比べて際立つ物だなぁ。
仙厳園のチケットが共通券になっているので、時間があるならば、こちらの見学も忘れずに。
一般的な博物館と同じようなつくりになっています。
島津氏が如何に西洋文明を受け入れて、利用しようとしていたのかがわかる施設です。
仙巌園の隣にある展示施設。
仙巌園との共通入場券で見ることができました。
反射炉のミニチュア模型が展示されていたり、西洋技術を島津家が導入しようとした痕跡がよくわかる資料館でした。
当時は、藩主自らが、こういう取り組みをしなければ、日本の近代化もなかっただろうと思います。
仙巌園の道を挟んだ隣にあります。
チケットは仙巌園で購入します。
中は島津家の歴史、文化の背景、産業の推移、機械や模型の展示がされてます。
幕末当時の貴重な資料が展示されている博物館。
2015年に「明治日本の産業革命遺産」の 構成資産として、世界遺産に登録されました。
島津斉彬が薩摩藩の近代化を目指して作られた集成館。
幕末当時錦江湾に面した一帯は反射炉も含めて日本有数の工場地帯だったそうです。
当時の工業品は実物も少なく、外国製品の図面を元に職人たちが手探りで制作したそうです。
それでも日本の職人技術は非常に高く、完成品を見た外国人技師はその技術の高さに驚いたそうです。
そしてこの技術が薩英戦争に生かされ、薩摩藩の技術力と戦闘力の高さをイギリスも認めることになります。
斉彬の先見の明が日本を近代化へと導いたと言っても過言ではないかもしれません。
幕末好きにとってはたまらない場所です。
薩摩藩第28代当主島津斉彬によって始められた集成館事業の一環として、1923年5月22日に開館した。
本館は本館は1865年に建てられたもので、国の重要文化財である。
犬追物関係資料、大砲、集成館機械工場、薩摩切子の資料など企画展示が行われている。
資料館の規模は小規模ながら、当時を思わせる資料が細かく展示されており後学のためにも良い場所。
尚集成館内は共通チケットで入館。
飲食、撮影禁止の点には留意してください(^~^)
名前 |
尚古集成館 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
099-247-1511 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
☘️現在臨時休業 日本の産業革命、日本最古の西洋式機械工場🏭 歴史博物館。