敷島型3番艦三笠の艦長として、日露戦争においてバル...
うっかりすると見逃してしまいます。
同じ学校敷地内にある村田新八や篠原国幹らの石碑より立派なのは、さすが東郷さん!といったところです。
どうしても来たかったところがです‼️
この場所であのロシアのバルチック艦隊を破り日本軍を勝利へと導き、国外からも「東洋のネルソン」と言わしめた東郷元帥が生誕したのかと思うと感慨深いものが有りますね。
中央高校の理科室の机に東郷元帥の生誕の地であることを示すプレート埋め込んであるそう。
因みに中央高校の向かいの「うなぎのうなげん」さんの横には西郷隆盛の従兄弟である大山巌の生誕の地もあるのですが、かつて「陸の大山、海の東郷」と讃えられた偉人の2人がこんなすぐ近くで産まれ育ったなんて凄いと感じてしまいます。
東洋のネルソン海軍元帥が産まれた処。
個人的に尊敬してやみません。
福津市の東郷神社、東京で東郷神社どちらも参拝しています。
東郷平八郎元帥の誕生の地の碑が建っています。
鹿児島中央高校の敷地内にありますが外から見学できるようになっています。
統合元帥のお墓は祇園之州ちかくの多賀山公園の中と東京の府中にある多磨霊園にあります。
現在の鹿児島中央高校の敷地の一部が東郷平八郎の誕生地です。
同じく日露戦争の英雄、大山巌の生誕地も近くにあります。
(2019年2月)
説明文も分かりやすくきれいにされてる。
本家の渋谷家と東郷家渋谷氏の薩摩下向鎌倉時代の当主渋谷光重は、宝治元年(1247年)の宝治合戦の功により、薩摩国に多くの所領を得た。
光重は長男・重直に相模国の所領を相続させ、残りの子らを薩摩の所領に下向させた。
(跡継ぎ以外の雑な扱い)渋谷実重、渋谷重保、渋谷重茂、渋谷定心、渋谷重貞ら(うち何人かは死去していたので子孫)が下向し、光重の五男・定心は入来院を相続して入来院氏の祖となった。
その後は定心の嫡男・入来院明重に地頭職を継承させ、その子・公重は元寇の際、北九州に出陣して、防衛に当たった。
島津氏との対立と和解その後南北朝時代には南朝方に味方して、北朝方の島津氏らと争ったが、峰ヶ城攻防戦で当主の入来院重門は討死した。
家督は嫡男・重頼が継いで、引き続き島津氏との争いを繰り広げた。
後に島津氏が今川了俊と対立すると南九州国人一揆に参画し武家方に転じた。
その後も島津氏とは抗争を続けるも、今川了俊の失脚によって劣勢に転じ、島津元久や島津伊久らの攻撃によって居城の清色城が包囲され、重頼は降伏して清色城を去った。
命あっての物種☝️🌠🌠🌠🌠🌠🌠🌠🌠🌠🌠🌠🌠🌠🌠🌠🌠🌠🌠渋谷光重は宝治1(1247)年の宝治合戦の勲功賞として得た薩摩国(鹿児島県)の川内川流域の薩摩郡地頭職を,1️⃣渋谷重直(本家当主で長男)👇2️⃣東郷村を次男🌠東郷実重渋谷光重の次男の早川実重が興した東郷氏の、その庶流による高城(たかじょう)氏3️⃣祁答院村を3男🌠祁答院重保👤祁答院氏(けどういんし)は、相模国渋谷氏の庶流で、薩摩国発祥の一族。
薩摩国伊佐郡祁答院(現・鹿児島県薩摩郡さつま町および薩摩川内市祁答院町)を本貫地とした4️⃣鶴田村を4男🌠鶴田重茂👤祖は桓武平氏秩父氏で、相模国渋谷荘を領し渋谷氏を名乗った一族。
その当主である渋谷重国の長子光重が、渋谷荘を長男の重直に与える一方、次男から六男には薩摩国の領地をそれぞれ分与した。
その内の薩摩国鶴田(現:鹿児島県薩摩郡さつま町鶴田)を与えられた四男重茂(重諸とも)が鶴田氏の始まりである5️⃣入来院村を5男🌠入来院定心6️⃣高城村を6男🌠高城重貞👤高城(たき / たかじょう)氏は日本の氏族。
桓武平氏、鎌倉幕府御家人渋谷氏を祖とし、鎌倉時代中期以降に薩摩国に移住した渋谷一族で、高城郡を本貫地とした。
(千葉家が先にこの地に住んでおり婚姻して同化した)6人兄弟。
鹿児島県立鹿児島中央高校の横にひっそりと建つ、東郷平八郎誕生地の石碑。
のみ。
説明文はありますがそれだけです。
もうちょっと東郷平八郎を偲びたいなら、鹿児島市の多賀山公園にある東郷平八郎像がありますのでそちらがおすすめ。
大久保利道さんより、地味な印象。
日本海海戦では、旗艦、敷島型3番艦三笠の艦長として、日露戦争においてバルチック艦隊を撃破。
秋山真之や、その兄の秋山好古と並ぶ明治を代表する人物。
東郷 平八郎は、日本の幕末から明治時代の薩摩藩士、軍人。
階級は元帥海軍大将。
薬丸半左衛門兼義から野太刀自顕流を学ぶ。
日清戦争では「浪速」艦長として高陞号事件に対処。
日露戦争では連合艦隊司令長官として指揮を執り日本海海戦での完勝により英雄視され、「陸の大山 海の東郷」「アドミラル・トーゴー」「東洋のネルソン」と呼ばれた。
小さな石碑ですが、一度見られてみては。
東郷平八郎誕生地の石碑。
日本海海戦の連合艦隊司令長官として知られる。
ロシアのバルッチク艦隊と対し「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ連合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃滅セントス。
本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」と大本営に打電。
電文通りに撃滅させた。
この勝利によって日本は「アジアの一国がヨーロッパ列強という魔法の輪に初めて仲間入り」(E.H.カー)する事となる。
名前 |
東郷平八郎誕生地 |
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ジャンル |
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電話番号 |
099-216-1327 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.9 |
鹿児島というのは、本当に江戸末期から明治にかけて歴史的な偉人が多いですね。
東郷平八郎が、鹿児島出身とは知りませんでした。
鹿児島市内には、本当に銅像が多くて、、、銅像巡りをするだけでも中々楽しいですよ。