尚真王のころ(1520年代)に設置された龍頭が清泉...
パワースポット!運気が上がる!
ウォーキングで巡る那覇の河川・樋川・井戸・湧水その97 【那覇市首里当蔵町3丁目】2020/12/06①場所(首里城内 瑞泉門付近)●首里城内の瑞泉門の階段途中右側に樋川と案内板あり。
●この辺りは南風之平等(ハエヌフィラ)・当蔵村(トーヌクラムラ)であった。
②龍樋●龍樋は、守礼門から歓会門を経て瑞泉門へ向う石段の右脇で、立派な合方積みの城壁の基部に位置している。
下位の泥岩と上位の石灰岩の不整合面から湧き出る地下水を、幅約1.2 m、高さ約0.5mの小さな土手で堰き止め、そこから長さ約2.3mの吐水石龍頭(トスイセキリュウズ)で導水し、貯水槽へ注いでいる。
貯水槽は一辺が約1.8mの正方形で、深さは約1.3mである。
溢れ出る水は、瑞泉門へ向う石段の下にある排水溝へ流れ出ている。
四段の石段の下にある踊場は、奥行き0.7~1mで、幅は約2mと狭い。
吐水石龍頭は、高位であった沢岻盛里(タクシセイリ)が慶賀使として中国へ渡った際、1523年に持ち帰り、水吐口に取り付けたと伝えられる③案内板●石段途中の右手に泉があります。
龍の口から水が湧きでていることから、龍樋という名があります。
龍の石彫刻は、今から約500年前の1523年に中国からもたらされた当時のままのものです。
龍樋の水は、王宮の飲み水として使われました。
また、中国からの使者「冊封使」が琉球を訪れたとき、那覇港近くにあった宿舎「天使館」まで毎日この水が運ばれたといいます。
この周辺の石碑は、龍樋の水の清らかさを称賛した冊封使たちの書を刻んだもので、冊封七碑と呼ばれています。
沖縄戦でほとんどが破壊されましたが、拓本をもとに1996年(平成8年)に復元されました。
石段上の門は瑞泉門で、その名は龍樋の水が瑞泉(りっぱな、めでたい泉の意味)と讃えられたことに由来します。
別名「ひかわ御門(ウジョウ)」ともいいます。
「ひ」は樋のことで、「かわ(川)」は沖縄では井戸や泉のことをさします。
さきほどの歓會門とちがい、双璧の石門の上には櫓がのっています。
この形式は日本本土の主な城の門と共通しています。
創建は1470年頃。
沖縄戦で焼失し、1992年(平成4年)に復元されました。
参照:沖縄県立図書館貴重資料デジタル書庫首里古地図参照:沖縄島・首里城と周辺地域の古井戸参照:案内板。
まるで千と千尋の神隠し。
束の間の異空間に日頃の悩みも現れます。
ドラゴンカッコいい🐉
竜の口から水が出ている。
尚真王のころ(1520年代)に設置された龍頭が清泉を落としています。
この龍頭は護座丸の孫である澤岻親方盛里が進貢使として中国に渡った時に持ち帰ったものだそうです。
首里城は琉球石灰岩の上に建っている王城です。
この高台にある龍樋の水は雨水なのですが、こんこんと湧き枯れません。
奇跡の王城です。
ブラタモリを見て感動しました。
隠しスポット。
セーブできそう。
こんな丘の上に、というところに澄んだ水が涌き出ています。
都である首里に王宮を立てる理由の1つでもあるのがこの湧き水です。
沖縄では、湧き水は重要。
500年前から一度も枯れたことがないらしく、当時は王の飲水として利用されていた。
首里城に入る前には、こぼれ落ちて来る湧水で手を洗ってます。
城の要は水。
この水は王宮の飲料水として使われていたが、この水があったからこそ首里城はここにあるのだろう。
粛粛と流れ出る水があってこその首里城だった。
観光客が気付かずに通り過ぎて行くのが滑稽に思えた。
ちゃんと事前に予習をしてきなさい。
수많은 사람들이 옆을 지나는데 뭐 별 거 있겠나 하고 보면 너무 맑고 풍부한 수량에 깜짝 놀라는 곳.
很美的景點~ 建議可以來走走。
首里城有規劃完整的殘障坡道,非常便利~^^
龍樋(りゅうひ)。
首里城の本丸を水源とする湧き水です。
琉球石灰岩で出来た地層と、土で出来た地層の境い目から、この湧き水が出て来ています。
水は絶えず流れていて、首里城の保水能力の高さに感心させられます。
水はとても美しい水色をしています。
底には来訪者によって投げられた賽銭が沈んでいます。
ブラタモリでやってました。
山上の不思議な湧水。
王様も飲んでいたそうです。
名前 |
龍樋 |
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ジャンル |
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電話番号 |
098-886-2020 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
見落としがちですが、首里城正殿に向かう階段の脇道にあります。
きれいな水が湧いているので、首里城に来た際は探して見た方がいいですよ。