岸和田城二ノ丸から程遠く無い所です。
岡部岸和田藩、第3代藩主岡部長泰が元禄16年(1703年)岸和田城三の丸に京の伏見稲荷から稲荷社を観請。
五穀豊穣を祈願して秋に稲荷祭を催したそうです。
その祭りに村人達の参加も殿様が認め、そこで村人達が披露したのが地車祭りの始まりだそうです。
岸和田城二ノ丸から程遠く無い所です。
ここに三ノ丸跡保存会の碑があります。
岸和田城の守り神として、三ノ丸にお社がありました。
御祭神は、猪尾権現(いのおごんげん)、黄旗大明神(きばただいみょうじん)、白髭(しらひげだいみょうじん)の三柱です。
伏見稲荷からの白髭大明神を合祀し、五穀豊穣を願って、岸和田だんじり祭が始まったと言われています。
初期の地車には、お稲荷さんの姿が見えます。
旧市のだんじりはこの三ノ丸神社にも宮入りしたと伝わっています。
今も地元の人やお詣りされる方が絶えません。
三の丸神社⛩鳥居綺麗でした。
三の丸神社前の道路は、十六軒長屋から商店街までの間は、岸和田城の外堀跡なので、埋めても高低差が生じ、変な坂になってます。
今川家配下の頃、分家筋の岡部元信公が、鳴海城の開城と引き換えに今川義元公の首級を駿府に持ち帰り(帰り際に手勢100で刈谷城を落としてます)、その際に岡部家の家宝として頂いた兜が、昭和10年に社殿から見つかったそうですわ。
(扱いが雑じゃね?)放置加減から、岡部氏入封時からとは考え難く、伏見稲荷の分社後か、明治維新のどさくさに奉納されたのかもしれませんね…知らんけど。
でも、今川義元公の兜の割に、インパクト薄すぎません?(心の声が)1640(寛永17)年岡部宣勝公の入封(1644年の正保城絵図に岸城神社(宮屋敷)はあるが、三の丸神社らしき表記はありません。
)以降に古城(野田町)から遷座されたようです。
3代藩主:岡部長泰公の代によって現在地に伏見稲荷大社を勧請(分社)された様です。
(伏見稲荷由来の御神体が何かは知らんけど)後に行われた稲荷祭が、大和川付け替え工事竣工祝と重なり、盛大になった事が後の1745(延享2)年が始まりとされる『岸和田だんじり祭り』へと発展していった様です。
※諸説あり。
美人(原文)美。
御祭神:稲荷大神延元元年(1336)、楠木正成の一族である和田正儀が岸和田城(岸和田古城)の守護のため城中に創建したと言われています。
また、昭和10年(1935)、社殿の祭壇から金色の兜が発見されました。
その兜は桶狭間の戦い後、今川義元の家臣・岡部元信が義元の首と引き換えに鳴海城を織田方に明け渡した際に合わせ、引き渡された義元の兜であると伝えられています。
拝:2020/02/26
だんじり祭発祥の地と云われている。
岸和田だんじり祭り発祥の宮だそうです しっとりと佇む神社です なんか心が落ち着く感じ きれいにされてます すぐ近くに十六軒長屋がありタイムスリップしたような所です。
特にこれといって特徴無いけど、参拝しました。
お賽銭あげて少し欲張りなお願いごとはしましたね!周りには、十六軒長屋にマンサード長屋ありますけど、よくわかりません?十六軒長屋の場所は、蛸地蔵駅手前に有料の自転車置き場の方に聞くとわかります。
マンサード長屋も近所の方に聞いてもここかな?なんて返事しか返ってこなかったですね。
どちらの長屋も住居となっています!
名前 |
三の丸神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
3.7 |
きれいに手入れされている神社でした。