碑があるだけで、少し寂しい感じです。
京都八木邸から始まり時代を翔け抜けた隊士たちの終焉の地です。
いつの時代も敗者の碑は寂しいもの…あの時代に己の信念に全てをかけた隊士たちに哀悼の誠を捧げます。
どこにでもあるような公園に、記念碑が立ってるだけです。
幕末好きなら、それだけでも余韻に浸れるかなと。
あ、記念碑の上の鳥は作り物でした。
せっかく来た記念に、公園のトイレも使ってみたけど、ちょっと臭かったなぁw
京都で猛威をふるい、鳥羽伏見の戦いや会津戦争などを経てきた新選組は弁天台場で降伏して、最後を迎えました。
それを記す石碑は弁天台場跡近くの公園に建てられています。
22/7月訪問遊具・公衆トイレのある小さな公園に存在する石碑遺物や痕跡があるわけではないので、函館戦争詳しい人又は新選組に思い入れのある人でないとただの公園にしか見えず、思いをはせることは難しい。
市電終着の函館どっく駅前にあります。
小さな公園の中に人知れずひっそりと立つ碑が、ゆっくりと幕末の物語に思いを馳せさせてくれます。
路面電車の終点”函館どつく前”下りてすぐ。
箱館戦争の激戦地。
土方歳三は取り残された弁天台場を奪還すべく向かう途中、一本木関門(現若松町)で亡くなったとされる。
箱館戦争のとき、旧幕府軍の一隊としてここにあった弁天台場を守っていた新選組百余名は明治二年、新政府軍の猛攻撃で、5月15日降伏した。
ここが最後の地である。
公園の横にポツンとありました。
時が刻々と過ぎていることを感じます。
新選組ファンの方にはマストただ、弁天台場自体は函館港改良工事記念碑の護岸の外側にあったようです。
付近のゆかりの地を巡るには、電動自転車をレンタルしたほうがいいです。
函館戦争の時、弁天台場があった場所です。
新撰組最後の地碑が建っています。
あまりオススメできません。
函館どつく駅前の公園に、「新選組最後の地碑」があります。
函館どつく?どつく??関西弁かと思いきや、発音は「dock」とのことで納得(笑)
函館、幕末維新探訪!弁天台の砲台跡近くの公園の中にひっそり。
公園の横、駅のすぐ横にあります!^ ^ こんなところに!?という感じです!
え…こんな場所にって所にあります。
なんと児童公園の中!道路上に案内とかないので知らない人は向かわないだろう。
交通の便はとても良く函館どつく前から徒歩30秒ほど。
近くの弁天台場跡と一緒にどうぞ。
新撰組最後の地ということで、五稜郭に訪れたましたが、たまたま発見しました!
今は石碑があるだけです。
弁天岬台場跡と新撰組最後の地は、函館どっく駅前の公園にあります。
>>箱館戦争のとき、旧幕府軍の一隊として、ここにあった弁天台場を守っていた新選組百余名は、明治2年(1869)新政府軍の猛攻撃で、5月15日降伏した。
ここが最後の地である<<(標柱説明板より)ここも新撰組ファンにとって外せない地でしょう。
碑があるだけで、少し寂しい感じです。
名前 |
新選組最後の地碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
口コミで公園に碑が立っているだけなのは分かっていたので、少し行くのに躊躇があったのですが、新撰組屯所跡や旧函館区公会堂も充分徒歩圏内だったので、歴史が好きならここを起点に色々回ってみるのもいいかもしれません。