歴史ある古いお寺です 高野長英などの偉人の御墓もあ...
2022年9月25日に参拝しました。
水沢留守氏の祖である留守宗利が、父政景(まさかげ)の発願によって、その遺志を継いで慶長12年1607年に一関城の東方機織山に創建したのが始まりといいます。
よって留守政景の墓は、一関市の機織山(旧大安寺の境内)にもあります。
東北新幹線と東北本線に挟まれた場所です。
願成寺、祥雲寺の線路側(東側)にあたります。
留守氏は、鎌倉幕府重臣の伊沢家景が、大河兼任の乱後に多賀城留守職(るすしき)に任命されたのが起こりです。
伊沢氏は、代々多賀城の高用名(こうゆうみょう)を管理し、土着して地頭化しました。
そして、留守職を世襲したため、留守氏を名乗るようになりました。
最初は、岩切城を本拠としていましたが、観応の擾乱(観応2年、正平6年1351年)で南朝側の吉良氏や国分氏勢力に敗北したため、一時期壊滅状態となります。
その後、大崎氏の庇護を受け、伊達氏と婚姻関係を結ぶことで命脈を繋いだと云います。
そして、伊達政宗の叔父にあたる伊達政景を留守氏の当主に迎えることになるのです。
留守氏の血筋が途絶えることに反対した留守氏一族の村岡氏が反発しましたが、留守政景となった伊達政景は、村岡氏の居城である村岡城を攻め滅ぼしました。
政景は、本拠地を岩切城から村岡城に移し、城の名前を利府城に改めました。
豊臣秀吉が発した小田原参陣命令に従わなかったため、一度改易され、領地を失いますが、伊達一門に復帰が許され、一関領主となりました。
そのため、大安寺は、最初、一関に建立されます。
政景の息子留守宗利の代に水沢城主として移封されました。
3代水沢城主留守宗景以降、留守氏代々の菩提所となりました。
寛永年間1640年頃に現在地に建立されたといいます。
万延元年1860年に留守氏の祈願寺吉祥寺を移築して本堂とし、その後3回の修改築を経て、今日に至っているそうです。
大安寺の墓所は、日高神社境内の墓所と共に水沢の歴史を理解する上で貴重なため、昭和49年に市有形文化財(史跡)に指定されました。
蛮社の獄により、逃亡を続けた水沢出身の蘭学者・蘭方医の高野長英を薬種問屋「神崎屋」(片岡家)は、支援し続けたと云います。
高野長英没後、片岡家は、自家の墓域に長英を葬りました。
片岡家の移転により、土浦市浄真寺に長英の墓も改葬されました。
高野家の菩提寺である大安寺に高野長英生誕二百年を紀年し、分霊をし、平成16年2004年に建墓しています。
人がいらっしゃらなかったようで御朱印はいただけませんでした。
伊達政宗の叔父さんのお墓や幕末の高野長英のお墓があります。
御朱印を頂きに参拝しました。
とても綺麗&丁寧な御朱印です。
身内が眠っております。
星の数はそれと関係してるだけで素晴らしさ等は加味しておりません。
樹齢のすごい桜の木があります。
木が凄すぎて檀家さんは鳥の糞害との戦いです。
まめに墓石をピカピカにしに来てくれるので、ご先祖様もさぞお喜びのことと思います🌸
お寺の行事も多く、檀家も多い駅前にしては駐車場も広い。
有り難く、御朱印 ”聖観世音菩薩” を頂きました。
歴史ある古いお寺です高野長英などの偉人の御墓もあります奥の森が無くなってしまったのが残念です。
名前 |
大安寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0197-23-3425 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
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街中に有るのに自然の残っていて中に入ると癒されて気持ちが落ち着くお寺です、ここにには親友が眠って居ます。