17歳で米沢藩9代藩主となりました。
上杉鷹山公之像(座像) / / .
上杉鷹山公の銅像があります。
大きな銅像です。
第35代アメリカ合衆国大統領のジョン・F・ケネディが1961年に就任した際に、日本の記者団に「日本でいちばん尊敬する人物」を聞かれたときすぐに鷹山の名前を挙げたという逸話がある。
1975年に綱淵謙錠と歴史家の奈良本辰也を迎えて放送されたNHKの歴史番組「日本史探訪」が紹介している。
それによると、ケネディは『代表的日本人』により鷹山を知り、政治家の理想像を見たのだとしている。
ただし、この逸話の真偽は不明である。
米沢の歴史を研究する小野榮は、ケネディが上杉鷹山を尊敬していると述べたというのは誤りで、鷹山を尊敬していると述べたのは、第26代大統領セオドア・ルーズベルトであり、彼が鷹山を知ったのは、新渡戸稲造が英文で出版した『武士道』を読んだからだと述べている。
ジョン・F・ケネディの長女で駐日アメリカ合衆国大使をつとめていたキャロライン・ケネディは、山形県や米沢市の要請に応じて2014年9月に米沢市を訪れ、父親のケネディが鷹山を称賛していたことに触れるスピーチをした。
鷹山公の「なせばなる…」は間違いないと同意します。
でもこの格言だけで物事を押し進めるような人もいて、困ってしまいます。
立像よりこちらの方が、より凛々しく感じられます。
手前の、赤色でやや品に欠ける表示がなければ5★でした。
上杉鷹山 (一七五一 ~ 一八二二)上杉家十代上杉鷹山公は、困窮、崩壊寸前の藩を復興させた江戸時代随一の名君として知られる。
十四歳の時から、折裏学派の儒者細井平洲に師事し十七歳で藩主となるや、大倹令・産業開発・藩校興譲館の設立・綱紀の粛正などを断行する。
凶作に備え、城下や村々の蔵にもみを備蓄し、天明の飢饉には領民に配り一人の餓死者も出さなかったと伝えられる。
十一代治広公に家督を譲るとき民主主義の原点を示した「伝国の辞」を与えた。
上杉鷹山(治憲)公は10歳で九州に領地を持つ高鍋藩秋月家から上杉家の養子になり、17歳で米沢藩9代藩主となりました。
120万石から30万石、のちに15万石に減封され、苦しい経営で火の車となっていた米沢藩を質素倹約や殖産興業で立て直した名君と呼ばれる。
天明5年2月6日、35歳で讚霞館(さんかかん)に隠居し、翌7日10代治広公に藩主としての心構えの3ヶ条を「伝国の辞」で示しました。
この教えは現在にも通用し、先見性があります。
ケネディ米国大統領が尊敬する人物として挙げたことで世界的に有名となりました。
(2014)平成26年9月27日、キャロライン・ケネディ駐日米国大使が米沢市を訪れ、「なせばなる秋まつり」会場で「(父・ケネディ元大統領は)『一人でも世の中を変えられる』とよく話していました。
」などとスピーチしました。
また「キャロライン・ケネディ駐日米国大使 訪問の記念碑」が銅像の側に建てられ、ケネディ大使の顔写真と、訪問の際行われたスピーチの要約が掲載されています。
2017-1-24雪にすっぽりと埋まる坐像。
白い雪のコートと帽子を被っているようにも見えます。
2015-10鷹山公の頭の上に止まり休んでいるトンボ。
言わずと知れた上杉鷹山(治憲)公の像。
一般に目に入るのはこちらの像。
上杉鷹山が座っている像と、脇の方には周辺の案内板があります。
名前 |
上杉鷹山公之像(座像) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
米沢藩の中興の祖として有名な上杉鷹山公の銅像。