休日のみ小さいですが島に入れるようです。
23.塩釜【芭蕉自筆影印】①おくの細道紀行文五月雨能空聊(イササカ)者禮て 夕月夜可す可に 籬可嶋も程ち可し あま能小舟こきつ連て 肴(魚)王か川(分ける)こゑゝゝ尓 綱手(引き網)可なしも(と)よみ遣舞哥の古ゝろも志ら禮て いとゝ(いっそう)あ者禮也 其夜目盲法師の琵琶ヲならして 奥上るりと云もの越可多る 平家尓もあらす 舞尓もあらす ひなひ堂る調子打(張)上て 枕ち可う可しまし(やかまし)介れと さす可に邊国(片田舎)の遺風王春禮さるもの可ら 殊勝尓覚ら流(五月雨の空聊(イササカ)はれて、夕月夜かすかに、籬が嶋も程ちかし。
あまの小舟こぎつれて、肴(魚)わかつ(分ける)こゑゞゝに、綱手(引き網)かなしも(と)よみけむ歌のこゝろもしられて、いとゞ(いっそう)あはれ也。
其夜目盲法師の琵琶をならして、奥上るりと云ものをかたる。
平家にもあらず、舞にもあらず、ひなびたる調子打(張)上て、枕ちかうかしまし(やかまし)けれど、さすがに邊国(片田舎)の遺風わすれざるものから、殊勝に覚らる。
)【芭蕉尋ね地】①千賀の浦(塩釜湾)・籬が嶋(曲木神社)塩釜市新町1-10-1付近《施設・句碑拡大写真はgoogle検索「芭蕉句碑の解読」》
【現地案内板】曲木(まがき/籬)島周囲約百五十五メートルの曲木島は、籬島とも称し往昔塩竃神社築造の際「曲木を巧みに用いた」籬島名神を祀る小祠が島名の由来といわれている。
市街地造成、商港、漁港の修築等のため、大正以降幾多の塩竃湾内に浮かぶ島々が消え去ってゆき、現在湾内に浮かぶ唯一の島となった。
この島は古来名島として歌枕に使われ古今和歌集、続後撰集、新勅撰和歌集、続古今和歌集、夫木和歌抄などにはこの島を詠みこんだ歌が数多く見られる。
塩竃市教育委員会。
なまいきTV で放送され、塩釜にこんな小さな島があるんだという事で早速の訪問です。
当日は冷たい強風で長い時間滞在出来ませんでしたが、いい雰囲気。
あたたかくなったら、のんびり塩釜湾を見に来たいですね。
毎月1日と土日に解放されるようです。
路駐になりますので、迷惑にならないように心掛けましょう。
毎月一日橋を渡れます。
地元の方々が定期的清掃活動されており、大切に崇敬されています。
曲木島は籬島とも称し、 往昔鹽竈神社築造の際 「曲木を巧みに用いた」 籬島明神を祀る古祠が島名の由来。
この島は古来名島として歌枕に使われ古今集、 続後撰集などにはこの島を読み込んだ歌が数多く見られます。
「わがせこをみやこにやりて塩竈のまがきの島のまつぞ恋しき (古今和歌集 東歌)」
釣りばだよ🙋
名前 |
籬が島 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
休日のみ小さいですが島に入れるようです。