静謐な時が流れている場所です。
共同墓地の一角。
墓地の入口にも当地にも何も説明書きはない。
現状は「塚」と認識出来ないレベルなので低評価も已む無し。
大きな通りから少しだけ入っただけの場所なのに、静謐な時が流れている場所です。
ただし、夏場は薮蚊に気を付けて。
女臈塚、皇の御前塚とも。
皇女神社社伝によると葛原親王の妻、照玉姫を葬ったとされる塚。
葛原親王と言うと桓武天皇の第三皇子にして桓武平氏の祖ですね。
照玉姫は夫に従って東国に赴く途上病に伏せ、この地で療養虚しく亡くなったそうです。
一方、広報よこはま栄区版によると、木曽義仲の子・義高が討たれた際に巻き添えになった、義高の女官たちが葬られた塚だとする伝承もあるそうです。
ともあれ、塚は里人に長く守られ、後に哀れんだ僧が塚の前に建てたのが玉之御前神社で、この近くに建つ皇女神社(皇女御前神社)の前身だそうです。
古くからの敬愛の証しなのでしょうか、沢山の墓が塚に密着するように立っていました。
この景観自体も独特でしょうから、全体として保存されるといいんですが。
ついでながら、この塚の近くの畑から縄文時代の人面把手土器などが出土し、一帯を公田ジョウロ塚遺跡と呼びますが、トレンチを掘るなどの発掘作業があった訳ではないそうです。
名前 |
上臈塚 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
2.8 |
栄区に伝わるお姫様「照玉姫」の塚。
土豪のお姫様ではなく、桓武天皇の皇子であった葛原親王(かずらわらしんのう)の妃であったひとです。