格式は高くないが静かな場所で落ち着ける。
植物公園の敷地を隣接し、社殿北方には東消防署、西は無料駐車場がある。
大正2年、東小保方地区32社を合祀して、現在地に社殿を新築して大東神社となったという。
国定赤城神社の宮司さんが兼務しているとのことでした。
駐車場が整備されてから夜間駐車している車が多い。
昼間の方が参拝は安全です 夕方は街頭も少なくて危ない子供も来るのにもう少し整備して欲しい。
静かな場所で落ち着きます。
御朱印は国定赤城神社で頂けますが、大東神社の印がないので、国定赤城神社の印に大東神社と書いて頂けます。
巫女さんから御朱印はネットにあげないで下さい。
と言われたので、約束を守ります。
¥300
隣の公園の帰りにお参りをしました。
祭神 事勝国勝長狭命配神大日靈命 菅原道真命 大雷命 櫛御気野命 木花咲爺比売命 市杵島比売命 素盞鳴命 大物主命 大山昨命 大山祇命 迦具土命 宇気母智命 日本武命 伊邪那岐命 柿本人麿命 大己貴尊 埴土安媛命 誉田別命創建に関する由緒文献の類は現存しないが、口碑の伝える所によると、小保方村はその昔、夷毛野原と称され、第十代崇神天皇の御代、東国開拓の祖たる豊城入彦命の東夷御征討に際して、その武臣が先駆して来て神社を創建し郷民に崇敬の道を教えた。
これを夷毛野大明神と言い、上野国神名帳に佐位郡従四位上郡都奈明神とあるのは当社であるとされている。
(伊勢崎佐波の神社誌由緒より)『大東神社』、実は最初からこの地にあった神社ではなく、江戸時代の頃は徳川家の旗本である久永源兵衛重勝の陣屋が設けられていました。
明治維新で陣屋としての役割を終え、その後は小保方小学校として使用されましたが、東小学校の開校により小保方小学校は分教場に縮小、そして、神社整理の訓令の発布により、合併されていた小社十社と東小保方の大小三十二社を合祀、大正2年に神社用地として寄贈された現在地に社殿を新築して遷座したことにより、『大東神社』と呼ばれることとなりました。
合祀の際には、近くにあった稲荷社に奉納されていた手洗盤も大東神社に移設されましたが、昭和48年に東村(当時)の重要文化財に指定、昭和63年には小泉稲荷神社に移され、その手洗盤は現在も小泉稲荷神社で大切にされています。
(『いせさきふらっと観光』 from Co-ラボisesaki・伊勢崎まちなか探訪研究室より)
格式は高くないが静かな場所で落ち着ける。
名前 |
大東神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
境内には徳川家の旗本久永氏陣屋跡がありました。