楠本正隆像の脇の立て札より白山公園創設者新潟県令 楠本正隆楠本正隆は西州と号し、天保九年(一八三八年)肥前大村藩(長崎県大村市)の上士として生まれました。
幕末・明治維新の激動期にすぐれた識見と卓抜した指導力を発揮し、その手腕を認められ新政府に招かれました。
明治五年(一八七二年)新潟県令となり、明治初年の地方行政の指導者として、積極的に諸政策の推進につとめました。
なかでも公園に特に熱情を示し、明治六年越しの千本松原といわれたこの地に、太政官布達によるわが国で最初の公園である新潟遊園(白山公園)創設しました。
在任した三年余に、大河津分水騒動の処理、新潟県・柏崎県を合併し県都を新潟町(市)に定め、わが国で最初の県議会を招集し、新潟町の道路・水路・堤防・橋梁・街燈の整備・郵便・為替制度の採用・学校・病院・第四国立銀行の開設 農産改良、信濃川水運開拓など、あらゆる面で文明開化の都市基盤整備を行い、新潟町の近代化に大いに貢献しました。
明治八年、新潟をあとにしたのち、東京府(都)知事 衆議院議長などを歴任し、明治三十五年、六十五歳で病没しました。
楠本正隆の功績をたたえ、後世に伝えるため平成元年三月に銅像を建立しました。
名前 |
楠本正隆像 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.6 |
白山公園の創設者(原文)白山公園的創設人。