酔っ払っても上に乗ったらアカンっすよ。
熊谷駅の前で夜はライトアップされてる素敵な像です。
以前、息子の同僚が酔って直実の後ろに跨り警察に捕まったそうです。
その時同僚が「コイン入れる穴はどこ?」と言ったとか。
良い子は真似しないで下さい。
一ノ谷の戦いでは、自分の子供程の若武者をここで逃がしても仲間に討ち取られる。
「為らば、この直実がお討ちしお弔いしましょう」この若武者は首実検で清盛の甥、 敦盛であることが分かった。
年端も行かぬこの青年の菩提を弔う為、出家を覚悟した直実。
直実は浄土宗の開祖法然上人に弟子入りをし出家名を法力房蓮生と名乗る。
後に熊谷に草庵を拓きこの地が熊谷寺となる。
師の法然上人は幼名を勢至丸と云い、侍であった父は刀傷がもとでこの世を去ってしまう。
病床に伏す父は勢至丸に父の敵討ちを禁じて世を去ってしまうのであった。
仇討ちをすれば、その仇討ちが又あらたな仇討ちを生み穢れた世になることを父は心配してのことで有りました。
そして出家修行のため比叡山で天台教学を學んだ法然上人はやがて浄土の教えを得て山を下り浄土宗開祖となりました。
刀傷沙汰から出家への道は勢至丸も直実もあったのですね。
その歴史を顧みて、熊谷次郎直実の銅像があるのです。
作者は長崎の平和祈念像を作ったりもしていますね。
ところで、この銅像は誰が作ったのでしょうか。
皆さんがお気付きの長崎県出身の彫刻家、北村西望作の銅像なんですよね。
観光地の銅像を見たら作者を知るだけでも造詣を深めらますね。
興味深いのは、彫刻家の北村西望(せいぼう)は本名なのです。
宗祖法然上人や蓮生坊は浄土宗のお坊さんですが崇め奉る本尊様は阿弥陀如来で未来佛ですね。
市井の人々は亡くなった後、西方極楽浄土の国へ逝きたいと願い、西を望み南無阿弥陀と唱えて信心しているのです。
阿弥陀如来がいらっしゃる方角の西を望む事と北村西望「西を望む」は理由があってつけられた名前なのかなぁ~って思いませんか❔北村西望の名前の由来を御教授願えたら喜ばしいことです🙇合掌🙏令和四年六月朔日。
熊谷次郎直実くまがいじろうなおざねと言う。
しかし、ここはくまがやくまがいではない。
さらに熊谷寺はくまがやでらでもくまがいでらでもなくゆうこくじ。
なんで〜?多分、くまがやの昔の人はこだわりが強い?へそ曲がり?
久しく「直実ぶし」を聞いてませんが、懐かしいです。
資料によると、熊谷 直実(くまがい なおざね)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。
武蔵国熊谷郷(現埼玉県熊谷市)を本拠地とした。
熊谷直貞の次男。
『平家物語』「敦盛最期」の段における平敦盛との一騎討ちは、直実は敦盛とともにこの故事の主人公として、能の演目『敦盛』、幸若舞の演曲『敦盛』といった作品に取り上げられている。
とあります。
駅前に建っている騎馬武者像。
一ノ谷で平敦盛を打ち取ってしまった直実。
戦後悔やんで出家したとか。
武士とは罪深いですな。
平家物語の敦盛の最期にかかわる武将の像です。
Beautiful sculpture of the samurai. This place tells a story of historical significance.
弓の名手の武将の像。
名前 |
熊谷次郎直実之像 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
4.4 |
酔っ払っても上に乗ったらアカンっすよ。