とっても大きな溶岩の塊がこの神社にあります。
嘘か誠か分からないですが、とっても大きな溶岩の塊がこの神社にあります。
浅間山から飛んで来たらしいのですが、本当なのかなぁ〜⁉️俄かに信じがたいんですけど(´・_・`)💦。
とってもちっちゃな神社⛩️ですが、興味のある方は訪ねてみてください^^!
この神社は、江戸時代初期、前橋藩初代藩主の酒井重忠が、当地の巨岩の上に稲荷神を勧請したのが創建の由来です。
巨岩の上の神ということから「岩神稲荷神社」と呼ばれるようになり、当時の村名も「岩神村」となりました。
NHKの放送番組の中、ブラタモリでも紹介された岩神稲荷神社。
長年、赤城山から流れて来たと考えられていたが、1万数千年前に、浅間山の大爆発で山体崩壊が起こり、この前橋の地に流れて来たと新たな学説が生まれました。
その大きさは、地中に埋もれている部分を含め、高さ約二十メートル、岩回り約十メートルで、その大きさに驚かされます。
社殿は小規模ながらとても美しく、岩神様と崇められ、風雨にさらされながらも、その姿は長い長い歴史を感じ取る事が出来ます。
子供の頃、よく遊びました!ここにある大きな岩は、小さいころよく登りましたね。
夏は涼しい木陰があります。
「岩神の飛石」を祀る岩神稲荷神社へ今朝行って来た(n‘∀‘)η(岩神の飛石についてはそちらのコーナーへヨロシク)江戸時代初期に建てられたとある‹‹(´ω` )/›群馬大学病院近くで「岩神の飛石」を目の前👀.′.′で見られるのでお近くに来た際には立ち寄ってパワーのシャワー🚿を浴びるのもヽ(*・ω・)-o🚿同時にお稲荷さんにご祈願するのも良いかもしれませんね🌼*・(色々と・・)•*¨*•.¸¸♬︎2023.02.12(日)写真📸Wタップで拡大します(*^^*)※私のコーナーへは名前をタップ🧏🏻【追加】動画🎥1本2023.02.13(月)
近くを通った際、たまたまここを教えていただき、通りかかったところ、ちょうど太陽が差し込む写真が撮れました。
10月下旬から11月上旬の2時半頃にこのような写真がとれると看板に書いていました。
一枚目の写真は午後2時少し前、2枚目は2時25分でした。
これを御覧になった皆様に良いことかありますように✨
参道には色鮮やかなミニ鳥居が吊るしてあり可愛らしいです!国指定天然記念物の岩は、なんとも言えない迫力と神秘的さがあります!!岩の周りには、末社がいくつかありました。
浅間山から、流れてここ迄。
同じ成分の岩があちこちに。
地下で見えない所に同じ深さくらい埋まっている!
岩がでかい!すっごいでかい!
イチョウの木が目を引きます!大きな岩神様も迫力ありますね!御朱印は前橋東照宮に書き置きがあってそちらで頂けます。
本堂の脇にある岩神の飛石と言う大きい石が印象的。
街角の地元の神社だが綺麗に整備されていた。
御朱印は、前橋東照宮で書き置きが頂きます。
地域の氏子さんたちが活性化チームを結成し、守っている神社。
御神体の岩神の飛石は、それはそれは大きくパワーが溢れています。
御朱印は、土曜日の10:00~15:00のみ、社務所で頂戴できます。
その他の日は前橋東照宮で対応して頂けます。
駐車場は、社殿西側広場に停められます。
最近の研究結果では、浅間山生まれの岩だとか。
なぜ、どうやってこんな巨石が浅間山から吾妻川を通って流れてくるのでしょう?どんな規模の土石流か、想像つきませんが自然の力はすごいですね。
赤城山の噴火の時に飛んできた岩がご神体?前橋東照宮で御朱印は頂ける。
2019 11 11本日、岩神稲荷神社(飛石稲荷)にて参拝させて頂きました。
初めての参拝です。
地域の皆様に愛されている岩神稲荷神社(飛石稲荷)ですね🎵そのように感じました。
〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️ 上野厩橋(前橋)藩初代藩主であり、雅楽頭系酒井家宗家初代の酒井重忠(しげただ)公が巨岩に稲荷大神を勧請したことから岩神稲荷神社と称され、神社の名称から岩神村の地名がつきました。
また、主祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)となっていますが木花咲耶姫命(このはなさくやびめのみこと)もお祀りしています。
主な年間行事は、初午祭・春季例祭・秋季例祭となります。
当社は前橋東照宮が兼務しています。
この巨岩は昭和13年(1938年)12月14日に「岩神の飛石」として国指定天然記念物に指定されています。
周囲が約60m、高さは地表に露出した部分だけで9.65m、さらに地表下に数mは埋もれているこの大きな岩は、「岩神の飛石」と呼ばれています。
昔、石工がノミをあてたところ、血が流れ出したという伝説があります。
岩は赤褐色の火山岩で、地表には縞のような構造も見えます。
しかし大きさのそろった角ばった火山起源の岩や石が多い部分もあります。
この岩の火口から溶岩として流れ出したものではなく、火口から噴出した高温の火山岩や火山灰などが冷えて固まってできたものと考えられます。
この地点より約8km上流の坂東橋の近くの利根川ぞいの崖では、10万年以上も前に赤城山の山崩れでできた厚い地層の中に同じ岩が認められます。
このことから、この岩は赤城火山の上半部が無くなるほどの大規模な山崩れに由来することがわかります。
さて前橋の街の地下には、「前橋泥流」と呼ばれる地層が厚く堆積しています。
これは約2万年前に浅間山で起こった山崩れが、水を含んで火山泥流に変化して流れてできた地層です。
この地層の中にも、岩神の飛石と同じような石が多く含まれています。
またここは火山泥流の堆積後、平安時代以前までの間に、利根川が流れていたところでもあります。
これらのことから、この岩は現在の坂東橋のあたりの堆積していた地層の中から、約2万年前の火山泥流によりこの近くまで押し流されてきたものと思われます。
さらにその後の利根川の洪水によって、今の場所まで運ばれてきたと考えられます。
岩神の飛石は、私たちに前橋とその周辺の自然の歴史とその営みを教えてくれます。
当時の国の調査で、先史時代の赤城山の噴火で流れついたとされたとされる「赤城山起源説」(上記の案内文)が定着していたが、平成20年(2008年)頃に群馬大学の早川由紀夫教授(火山学)が「浅間山起源説」を提唱した事から由来をめぐる議論がわき起こりました。
その後は二説並立という形でしたが平成25年度から3年にわたって行われた調査により浅間山起源と言う事が確認されました。
国指定天然記念物岩神の飛石は、利根川左岸にある周囲70m、高さ10mの巨岩であり、火山噴火の噴出物が泥流により運ばれたとされているものである。
昭和13年12月14日の指定時より「赤城山の噴火によるもの」と考えられていたが、巨岩が御神体であるため、科学的な分析調査が実施されたことが無く、最近は浅間山の噴火により形成された岩石であるという説もでている状態であった。
3年に亘る岩石成分分析調査のなどを行った結果、岩神の飛石は、約2万4千年前頃の浅間山の噴火によって発生した前橋泥流が、吾妻川沿いに当地まで流れ下ってきた際に運搬された岩石であり、加えて、その岩石が成分的に浅間山方面を給源とする岩石であると判明した。
また、浅間山由来の同様な巨岩「とうけえ石」 (中之条町)や「赤岩弁天」 (長野県佐久市)と成分がほぼ一致していることも判明した。
これにより、国指定天然記念物岩神の飛石の文化財データベースの説明に、今回の調査報告の内容が反映されるように、文化庁と協議する予定。
3ヵ年の一連の環境整備事業の結果を受け、今後はどのような保存策をとり、どのような体制と方法で活用を図っていくかを地域・学校、専門家と連携しながら「保存活用管理計画」を策定していきたいと考える。
御朱印いただきました!土曜日のみ配布です 大きな岩にはびっくりです 浅間山から飛んで来たとは驚きです 神社もステキでした。
実際に見ないと伝わらない、街の中にある巨大な岩です。
驚くばかり。
アジサイが色を添えています。
管理人さんが親切でした。
浅間山から吾妻川へ、前橋泥流となりゴロゴロと流れついた岩。
群馬縣管下上野國東群馬郡岩神村字岩南 村社 稲荷神社 絹笠神社祭神 倉稲魂命 木花咲耶姫命(「上野国神社明細帳」より抜粋)国指定天然記念物 岩神の飛石 周囲が約60m、高さは地表に露出した部分だけで9.65m、さらに地表下に数mは埋もれているこの大きな岩は、「岩神の飛石」と呼ばれています。
昔、石工がノミをあてたところ、血が流れ出したという伝説があります。
岩は赤褐色の火山岩で、火口より噴出した高温の火山岩や火山灰などが冷えて固まってできたものと考えられます。
前橋の街の地下には、「前橋泥流」と呼ばれる地層が厚く堆積しています。
約2万円前に浅間山で起こった山崩れが、水を含んで火山泥流に変化して流れてきてできた地層です。
この岩は現在の阪東橋のあたりに堆積していた地層の中から、約2万年前の火山泥流によりこの近くまで押し流されてきたものと思われます。
岩神の飛石は、私たちに前橋とその周辺の自然の歴史とその営みを教えてくれます。
(文化庁・群馬県教育委員会・前橋市教育委員会)案内板より。
御神体は大きな岩です。
名前 |
岩神稲荷神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
御神体は、古代に浅間が噴火した際のものとか言われている巨大な岩石。
間近でしみじみ眺め、余りの重量感と迫力にたじたじになり、祀られて当然だと一も二もなく納得する。
御神木のエノキの巨木は、南側の歩道にはみ出した枝がバッサリ切り落とされていて痛々しいが、意気軒昂に聳えている。
他にもエノキやケヤキ、イチヨウの見応えたっぷりの巨木がある。