今まで存在すら知りませんでした。
ここではよく遊びました。
鬼ごっこをすると場所的に詰みます。
昔からの八幡さま。
今まで存在すら知りませんでした。
倉賀野神社にはお参りする機会があるのに、井戸八幡宮は一度もありませんでした。
井戸があったことが名前の由来らしいですが、以前鎮座してあった御神輿が倉賀野神社に移ってからは存在感が薄れていたような感じでした。
今後は井戸八幡宮を先にお参りした方が良いように感じました。
御祭神 品陀和気命合祀神 猿田彦命 火軻遇突智命 弥豆波廼売神正保三年(1646)、倉賀野城、三の廓跡の古井戸から一夜にして水が湧き出て、八幡大神が現れたのが起源と伝えられています。
まちの人たちには井戸八幡と呼ばれ親しまれています。
井戸は今も残り、その上に神輿が保管されています。
八月には八幡神社宵祭りが行われ、翌日に山車が曳かれていました。
井戸は十年に一度開帳されます。
(高崎市都市計画課「倉賀野めぐり」より)井戸八幡宮縁の井戸と大御輿この覆屋の中にある井戸が、正面に建つ八幡宮の俗称「井戸八幡縁の井戸」です。
八幡宮は、倉賀野城三の郭跡の古井戸から、一夜にして水が噴き出し八幡大神が現れたのを起源と伝えられます。
創建は正保三年(1646)で、代々の高崎藩主が篤く崇敬し、宮元である田屋町の住民が誇りを持って守ってきました。
現在井戸枠の上には江戸中期頃に造られた立派な神輿が安置されています。
この神輿は特別の祝祭時に出御する宮神輿で、平成十七年九月倉賀野神社造営750年大祭の時に社殿前に出御されました。
その際は、倉賀野神社の「天明神輿」(制作年の天明に因んで呼ばれる)の渡御を迎え、天明神輿と共に並んで安置されました。
(参道にある案内板より)御由緒正保三年(1646)に当時倉賀野に住んでいた田口右衛門辰政が外から帰宅すると、一羽の鳩が家の中に入ってきました。
すると、あたりは真昼のように明るくなり、鳩も輝いていました。
やがて鳩は外へ飛び去りました。
翌年の正月、辰政は二日の夜の初夢に、昨年の鳩が飛んでいる夢を見ました。
その年の三月二十二日の夜、大地震が起こりました。
夜が明けると倉賀野城三の廊の草木が茂った場所に井戸ができていて、清水があふれ光り輝いていました。
辰政が近づくと八幡大神が降現ました。
これにより辰政はご神体を得、そこに社を建てたのが井戸八幡宮です。
霊泉信仰と八幡信仰が結びついて生まれた井戸八幡信仰です。
(「倉賀野どっといんふぉ見どころガイド」より)上記由緒と共に、倉賀野三河守が鶴岡八幡宮を勧請したとも伝えています。
又一書二云フ 倉賀野三河守 鶴岡八幡大神ヲ勧請寛政元年(1789)社殿再建 安政六年(1859)社殿再建神輿 享和元酉年(1801)八月二十三日御願済三町ヲ初メテ練ル明治四十年(1907)大杉神社ヲ合併(八幡神社修復記念碑より)
石造りの鳥居は綺麗です。
拝殿、本殿とも柱や外壁の木に何か塗られてたのか何となく黄色っぽくなっています。
名前 |
井戸八幡宮 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
3.9 |
井戸八幡宮と言う、井戸と言うのには由緒があります。