近くの方が年始にお参りに来る親しまられている神社で...
第六天神社・古峯神社 / / / .
滑り台と鉄棒があります。
仕事で近くに行った時にお参りしています。
地域に愛されています。
小さな祠ですが、歴史は古く当地(武蔵野國多摩郡木曾郷鶴間村)の守り神として戦国時代の16世紀頃に造立されたものと言われています。
大河ドラマの女城主直虎が活躍していた時代の頃と言えばおおよその感覚がつかめると思います。
第六天神社は、この近くの大和市の下鶴間を始め、関東地方各地に祀られており、昔は広く信仰された神様であることが分かります。
織田信長が自らを第六天魔王と名乗っていたとイエズス会宣教師ルイス・フロイスが書簡に述べているのは有名ですね。
第六天とは仏教経典によると、神々や天人等の世界である天のうち、天魔が棲むとされる世界で、その世界の支配者が第六天魔王です。
第六天魔王は、仏教修行を妨げる魔王とされており、元々は古代インド神話に出てくる神と言うことです。
魔王を祀るのも不思議なようですが、古来日本人は、人々に災いをなす神(霊)を丁寧に祀ってその災厄から逃れ、さらに、その強力なパワーによりご利益を得ようとしてきました。
例えば神田明神に平将門公を祀ったように。
ただ、現在の祭神は「おもだるのみこと・かしこねのみこと」の両神ですが、これは明治維新により、それまでの神仏習合が廃され,廃仏毀釈運動により仏教系統の第六天魔王を廃し、神道系統の、日本神話で天地開闢の時、国造りした神のうち、6番目に現れたご両神に変えたのです。
もともと日本では奈良時代から本地垂迹説が唱えられ、神様と仏様が同一であると考えられていましたから、第六天魔王が「おもだるのみこと・かしこねのみこと」であるとしても不自然ではなかったと思います。
さて当社を祀ってある場所は、滑り台が1台、鉄棒が1台置いてある広場です。
道路寄りに2宇の祠が並んでいます。
向かって右の祠に「第六天神社」(奉祀会)の扁額、左のやや小振りの祠に「古峯神社」の扁額が掲げられています。
広場では子供たちが元気に遊んでいます。
子供たちの楽しそうな声が響いており、神さまもお喜びだと思います。
ここは町田市の(そして東京都の)最南端で(島を除く)、数十メートル南に歩けば(神奈川県)横浜市の瀬谷区五貫目町に入る場所です。
第六天神社の左隣にお祀りされている古峯神社は、下野の国草久(くさぎゅう)古峯(こぶ)が原(栃木県鹿沼市)に鎮座する古峯神社(ふるみねじんじゃ)から分祀されたものです。
古峯神社の御祭神は「ヤマトタケルノミコト」であり、古事記や日本書紀によると、東征の際、相模または駿河の地で国造に「荒ぶる神がいる」と欺かれ野中で火攻めに遭う。
そこで叔母さんの「ヤマトヒメノミコト」(伊勢神宮を創建した方、伊勢の地で天照大神を祀った最初の皇女で、のちに制度化されて斎宮となった。
)から貰った草那芸剣(くさなぎのつるぎ)で草を刈り掃い、やはり叔母さんから貰った(いろいろな物くれる叔母さん大好き!)火打石で迎え火を点けて逆に敵を焼き尽くしたとされ、火難を除かれた故事により、火防の神として火伏信仰が全国に広がりました。
当地鶴間でも火災は何度も発生しており、一番恐ろしい災害でしたから、火防の神は広く信仰され、かつては古峯神社の火防の御札が各戸に貼られていました。
なお「くさなぎのつるぎ」は「やたのかがみ」「やさかにのまがたま」と共に三種の神器として皇室の正統たる帝の証しであるとして、皇位継承と同時に受継がれる剣です。
元々はスサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した時オロチのしっぽから出て来たとされる剣です。
祠の前で手を合わせ、たたずんでいると、私たちの国の長い歴史と懸命に生きた人々の知恵を静かに語りかけてくれる思いがします。
名前 |
第六天神社・古峯神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.2 |
近くの方が年始にお参りに来る親しまられている神社です。