川沿いにある手入れされた地蔵尊です。
こちらは道慶というお坊さんが付近の住民のために架けた橋で、今の橋は昭和2年に建て替えられたものだそうです。
万治元年1658年独力にて橋を造り両岸住民の難渋を救ったということで、その功績を称え道慶師没後こちらは道慶橋と名づけられました。
地蔵尊にはきれいな花も手向けられており、地域の方から愛されている場所だと感じます。
道慶橋の左岸下流側に建立されている道慶地蔵尊です。
清掃が行き届き近隣の人々に大切にされているのが伝わります。
より多くの道行く人々が参拝出来るよう、礼拝堂のような小屋で賽銭箱などの整備もされています。
右側に由来碑がありますが、表面が鏡のようにキラキラ反射して読み難いので写真を撮ってじっくり解読してみました。
<由来碑 昭和53年7月 奉賛会による>道慶地蔵尊由来明暦元年(三百二十年前)相模国久良岐郡太田村字前里耕地(現前里町三ノ六五)にあった渡川口に雲水僧道慶師(出生地不詳)が立寄り附近住民の難儀を見聞し之を救わんと同所に祀ある地蔵尊に草庵をむすび日夜地蔵尊に祈願して托鉢を重ね幾多の困難辛苦の末遂に万治元年独力にて橋を造り両岸住民の難渋を救った。
道慶師没後その遺徳を偲び両岸の住民有志相計り同橋を道慶橋と名づけ 師の信仰せる地蔵尊を道慶地蔵尊としてお守りし今日に至る。
晋門院蔵古記より< 道慶地蔵尊由来碑から全文抜粋 >説明文が分かり難いですね。
私なりに簡単にまとめると、320年以上前のこと。
その昔、明暦元年頃、橋が無く、渡し船で対岸まで渡るしかなく、難儀していた住民の為に、雲水僧道慶師が簡易な小屋を建て、師が信仰する地蔵尊に祈りながら数々の苦難を乗り越え橋を架けました。
道慶師の没後、両対岸の住民は彼の功績を称え、道慶師が架けた橋を道慶橋と名付けました。
また、道慶師が信仰していた地蔵尊を道慶地蔵尊として祀り守り続けて来ました。
こんな感じでしょうか。
この道慶橋と道慶地蔵尊について「横浜市史稿」地理篇にも記載があるようです。
320年以上も、この地の道行く人々を見守り続けて来た地蔵尊、何だか素敵ですね。
ところで、その由来碑の隣には掲示板があるのですが、そこの一枚の張り紙に愕然としました。
どうやら道慶地蔵尊の建つ場所は私有地のようで管理してきたその方が高齢化により維持管理が難しくなったとのこと。
そこで、支援者募集を呼び掛ける物でした。
支援者が集まり、これからも変わらず道慶地蔵尊がこの地に在り続けて欲しいですね。
名前 |
道慶地蔵尊 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
4.4 |
道慶橋の袂にある、江戸幕府の第4代将軍 徳川家綱公の治世の頃に、この橋を造った僧道慶を偲び住民有志が道慶が信仰していた地蔵尊を道慶地蔵尊として道慶禅師が住んでいた庵があった所に祀っている。
江戸時代から現代までを見守ってきた、歴史の証人。