1968年(昭和43年)に青江三奈が唄って大ヒット...
伊勢佐木町ブルース歌碑 / / .
青江三奈さんの昭和43年のヒット曲です。
青江三奈さんが膵臓癌でお亡くなりになった(平成12年7月2日没)翌年の平成13年7月1日に建立されました。
青江三奈の歌謡曲は今聴いても良い曲ですね。
1968年の青江三奈のヒット曲の歌碑。
左下のボタンを押すと、なかなか良い音で聴けます。
モール歩いていると出てきます。
いつでも、聴けるブルース!!
青江三奈さんの、又、昭和歌謡史の代表的な歌の歌碑。
伊勢佐木町ブルースの歌碑があります。
歌碑を見て歌を初めて聞きました。
横浜といえば伊勢佐木町の時代の昭和の代表的な歌の一つ。
曲が流れると雰囲気は上がりますね。
伊勢佐木町にある記念碑です(ФωФ)
1968年(昭和43年)に青江三奈が唄って大ヒットとなった「伊勢佐木町ブルース」という歌があります。
この「伊勢佐木町ブルース」に唄われた町が、横浜伊勢佐木町だった。
伊勢佐木町はもちろんこの曲のヒットを待つまでもなく横浜の代表的な繁華街のひとつだったが、この曲の大ヒットによって全国的な知名度を得たと言ってよいだろう。
青江三奈さんは、2000年(平成12年)7月、すい臓ガンのために惜しまれつつ世を去る。
享年54歳、早すぎる死だった。
青江三奈の訃報に悲しむ伊勢佐木町の商店街は記念碑の建立を企画、伊勢佐木町四丁目の一角に歌碑が建てられ、2001年(平成13年)の7月に青江三奈の一周忌に合わせて除幕式が行われた。
グランドピアノを象った歌碑は高さ、幅ともに二メートルほどで御影石で造られている。
歌碑の前面には青江三奈の肖像のレリーフと、その下には作曲家鈴木庸一直筆という「伊勢佐木町ブルース」の楽譜を刻んだパネルが埋め込まれている。
背面には「横浜にちなんだ名曲50曲」の名が刻まれている。
歌碑の工費には全国のファンからの寄付金も充てられたという。
歌碑の前面の下部に小さなボタンがある。
押すと「伊勢佐木町ブルース」が一分間ほど流れる仕組みで、あの「ためいき」を聞くことができる。
買い物客が行き交う昼間の伊勢佐木町には、その歌声は少々不釣り合いであるような気もして、歌碑の前に立って耳を傾けるのは少しばかり気恥ずかしいです。
青江三奈を思い出すなぁ。
今は、青江ニ奈が、穴を埋めてるけど。
スイッチを押すと伊勢佐木町ブルースが流れる。
青江三奈さんが歌う姿のパネルがはめ込まれている。
私は昼間に歩いたし、汽笛も聞こえなかったから、歌詞の雰囲気は味わえなかったけど、夜に来ればまた違う気持ちになれたのだろう。
往年の名曲の歌碑が作られ、音楽も流れる。
看板もキレイに手入れされている。
近くにある美空ひばりさんの記念碑共々この街の温かさと人間味を感じられます。
ボタンを押したら歌が流れますよ。
感動しました!。
子供の頃はわけわからんでした。
大人になってよーくわかりました。
名曲ですよ🎵。
10~20時_赤いボタンを押すと1分間音楽が流れるはず。
通りがかる度に押すものの、1度も流れたことがない、、。
2018/2_流れました●2018/2/6~11_クロスストリートで青江三奈遺品展(無料)。
2/12_伊勢佐木町ブルースフェスタ(有料)
昭和を代表する歌と歌と共に歩んだこの地を示す記念碑です。
時代は移り変わりますが、歌は色褪せない。
今年、伊勢佐木町ブールスが発売されて50年だそうです。
それを記念して、歌碑の前ではイベントがされていました。
伊勢佐木通り。
この通りは路上ライブのメッカで、ゆずがデビュー前に路上ライブをしていた所。
ゆず最後の路上ライブ7000人集まった。
そのに建つ青江三奈さんの歌碑。
昭和の横浜を代表する伊勢佐木町ブルースの歌碑青江三奈さんは歌謡曲で有名ですがジャズのトップシンガーとしてアメリカでも高い評価を受けていますジャズ調の伊勢佐木町ブルースは雰囲気があってとても素敵です。
名前 |
伊勢佐木町ブルース歌碑 |
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ジャンル |
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住所 |
〒231-0045 神奈川県横浜市中区伊勢佐木町4丁目123 |
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.8 |
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子供の時に流行った歌、子供心にも何か訴えてくるものが有った。