第9代(生没 前208年~前98年 111歳 在位...
開化天皇 春日率川坂上陵 / / .
全く見せる気のない天皇陵。
長い参道もあるのですが門はしっかり閉まってます。
観光地の賑やかなメインストリートに突如出現する天皇陵。
一見したところ、公園か何かと思うが、「宮内庁」の掲示があり、天皇陵であることがわかる。
第9代の開化天皇の御陵とされてます。
開化天皇は欠史八代の天皇なので、神武天皇と共に実在せずに、後世に造作された天皇と言われてます。
実際の被葬者は不明です。
実在した可能性が出てくる天皇は、次の崇神天皇からです。
開化天皇が仮に実在したとしても、初期のヤマト王権の首長ですから、崇神天皇陵がある天理市の南部とか箸墓古墳のある桜井市周辺にあると思われます。
遠くから 参拝させてもらいました。
町中に存在し、立ち入り禁止となっている。
三条通りに見過ごしてしまいがちですが宮内庁管理の御陵。
鳥居の位置がきっちり北で入り口から見えにくいです。
説明は既に皆様がなさっておいでで、私も大いに参考にさせて戴きました。
被葬者:第9代・開化天皇宮内庁により、第9代・開化天皇の春日率川坂上陵に治定されています。
開化天皇は欠史八代の1人で創作性が強い人物ではありますが、記紀において伝承の時代を生きた方と伝えられています。
父は第8代・孝元天皇、母は欝色謎命です。
拝:2020/10/05
古事記や日本書紀に事績が記されない「欠史八代」最後の帝、第9代開化天皇。
開化天皇の第三皇子 彦坐王(ひこいますのおう)の子である狭穂毘古(さほひこ)と狭穂姫(さほひめ、11代垂仁天皇妃)は、垂仁天皇との政争「狭穂毘古の乱」で炎に包まれて亡くなりました。
開化天皇陵の考古学名は念仏寺古墳だそうです。
◾️ 開化天皇 春日率川坂上陵第9代 開化天皇陵春日大社に向かう途中にクルマを停めた駐車場近くに偶然発見いたしました。
街中にポツンと大きな緑の丘があり不思議な感じがしました。
欠史八代などと実在が怪しまれるといったような話も聞きますが、宮内庁が管理している紛れもない126代の歴史のある皇室の墓陵のひとつです。
第9代天皇、開化天皇の陵。
三条通りに面して綺麗な参陵道があり、周囲の繁華な雰囲気とは一線を画している。
欠史八代最後の天皇である開化天皇の御陵。
後継の天皇が崇神天皇<ハツクニシラススメラミコト>で史実上最初の天皇で有ることが有力な天皇から考えると、恐らく伝説上か皇紀と辻褄を合わせるために造られた大王の可能性があるという説もある。
まぁそんな難しいことは置いておいて今では街の喧騒の中にすっぽり静かに存在する森となって、これもまた歩けば古墳に当たる奈良らしいといえば奈良らしい景観です。
ホテルの脇の奥にありました。
拝所へ向かうアプローチは細長く、三条通りからもよく見えています。
天皇陵ですから、中には入れません。
繁華街のすぐ近くに、こんな歴史的なものがあるのも奈良らしいですね。
この天皇は第九代です。
街なかに在るため驚きです。
この天皇の時代は奈良市内は大きな池か沼地だったのでは?
第9代(生没 前208年~前98年 111歳 在位 61年間 「欠史八代」(創作された非実在の天皇?)の最後の一人)。
なぜ欠史八代のままにしているのか、宮内庁は年代の調査を含む学術調査を行う必要がある。
参道の入口は古墳が迫っている北側ではなく, 南側の三条通りにあります🐤
墳丘長約100mの前方後円墳、築造時期は5世紀前半と推定。
考古学名は「念仏寺山古墳」。
宮内庁により第9代開化天皇の陵に治定されている。
開化天皇はいわゆる欠史八代のひとりで、その実在性が疑問視されている。
墳丘は後世に大規模な改変を受けている模様。
古代史大好き。
開化天皇の実在は……?初代神武から、9代開化までは物語の世界、が定見のようです。
街中に突然現れるので 行くつもりはなくても つい みてしまう。
こういうのが 普通にあるのが奈良県 素晴らしい県です。
リニアモーターカー 通って欲しいですね。
つい、見過ごしてしまいますね。
落ち着いたお墓です。
看板等が無いので天皇家の墓と分からず、観光客は不思議に思うでしょうね。
名前 |
開化天皇 春日率川坂上陵 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
口コミ読んでたら、開化天皇の頃は奈良は沼だったのでは?とあって、あっ!そうだわ、と思い、他の方もこの古墳が5世紀頃の物と書かれていて、その頃からこの辺りも陸地になったと思われますので、開化天皇のお墓じゃないかもしれませんね?最初の八代が居たか居なかったを書かれている方が多いですが、今現在確認出来ないものは、ロマンがある方を信じた方が良いな。