おしゃもじ様と呼ばれていた。
天沼神社。
御祭神は伊弉諾尊、伊弉冉尊、天照大御神など。
天沼神社境内に書かれている御由緒には次の事が書かれている。
『当社は、芝川右岸の大宮台地東南部に鎮座し、東部は見沼の低地が広がっている。
創祀は、中世修験の活動により紀州の熊野大社の分霊を当地に祀ったことによると伝える。
また、境内東側には鎌倉期の創建と伝える大日堂(古来真言宗、近年曹洞宗東光寺下寺)があり、古くから当社と一体となって祀られている。
この神仏習合は熊野大社の三神を伊弉諾尊・伊弉冉尊と大日如来である天照大御神の三神に当てる中世の信仰に習ったものである。
社蔵棟札によると、明和七年(一七七〇)十一月「熊野三社大権現本社拝殿二宇」が造営されている。
この時の遷宮導師は天台派の正観房義純、ほかに上天沼村の重立ちとして星野弥左衛門・星野平左衛門・宮野経右衛門の名前が見える。
次に明治六年四月に村社となり、同年十月新たに瓦葺きの本殿を造営している。
『明細帳』によると、明治四十年五月、大字上天沼字熊野耕地の無格社神明社・同境内社疱瘡社・稲荷社、同字無格社石神社・同五条天神社・同宗形神社、字天神耕地の無格社天神社・同愛宕社、大字下天沼字八幡耕地の村社八幡神社、字浅間耕地の無格社浅間社・同境内社疱瘡社を合祀し、同四十一年七月、熊野神社の社号を、村名を冠した天沼神社に改称した。
』
小さなところでしたがなんかよかった。
百日咳に霊験があると言われ、治るとしゃもじを納めたことから、おしゃもじ様と呼ばれていた。
以下,現地観察の記載。
まず,境内は、周りと比べ、少し温度が低い。
虫も殆どいなく、過ごしやすい。
一の鳥居は慶応元年名の石鳥居。
二の鳥居は朱色の両部鳥居。
令和元年に楠をご神木に指定する旨の看板あり。
東側に壊れた常夜燈が確認できる。
その左手に合祀記念碑。
その裏手に力石と思われる石が二基。
その力石の左手に献木記念碑。
内容は,私が日露戦争で頭に銃弾を受けながらも自分が助かった云々の強運は、この天沼神社のご加護のおかげであり、それに感謝して樹木を奉納します,というもの。
その献木記念碑の左隣に力石と思われる石がまた一基。
さらに、その隣に寛延年間銘の疱瘡神の石祠と延享年間銘の第六天社の石祠あり。
社殿左手に境内社あり。
何を奉っているのかは不明。
その隣に石神社の石祠一基。
明治再建されたもので、元は延享年間に作られたものらしいことが分かる。
街中にある神社ですけど大木が歴史を感じさせます。
名前 |
天沼神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
〒330-0834 埼玉県さいたま市大宮区天沼町1丁目394 |
関連サイト | |
評価 |
3.5 |
掃き浄められた境内。
荘厳な巨樹、凄いパワースポットだ。