少々分かりにくい場所に建つ寛永寺時鐘堂。
寛永寺時鐘堂(時の鐘) / / / .
上野大仏からすぐ、上野精養軒の建物横に、少々分かりにくい場所に建つ寛永寺時鐘堂。
高台に建てられたのか、お堂自体も高く造られているように見えますが、木々に覆われて確認ができません。
現在も上野の街に朝・正午・夕の3回時を告げています。
松尾芭蕉の詠んだ『花の雲 鐘は上野か 浅草か』の句にある”上野の鐘”とはこの時鐘堂を指しています。
(浅草の鐘は、浅草寺弁天堂の時の鐘です。
)芭蕉庵(江東区深川)にまで聞こえるほど、どちらも大きな鐘の音だったのでしょうか。
残したい日本の音風景100選に選ばれています。
上野大仏から撮影📸
突いてみたい衝動に駆られる。
丁度正午の鐘を撞かれておいででした。
上野に響く鐘の音、良いものです。
日本の音だ。
写真は上野大仏から望みました。
江戸時代から使われている時を知らせる鐘です。
今日もちゃんと時間で鳴らしてました。
近くには浅草や日本橋、北千住のお寺などがあります。
グレート訪問する場所が、混雑しました(原文)Great place to visit but crowded
花の雲 鐘は上野か 浅草か と芭蕉が詠んだ句はここの鐘の事だそうです。
上野精養軒のすぐそばで、現在でも朝夕6時と正午に鐘楼を守る人によって昔ながらの鐘の音が聞けます。
寛永寺の時の鐘堂です。
静かに鎮座しています。
松尾芭蕉の「花の雲 鐘は上野か 浅草か」と詠んだ句の鐘とはここの事。
時の鐘は最初江戸城内で撞かれてが、1626年になって日本橋石橋3丁目に移され、江戸市民に時を告げる用になったと言う。
初代の鐘は1666年に鋳造、その後1787年に谷中感応寺(現・天王寺)に鋳造された鐘が現在ここに置かれているものである。
現在も朝6時、昼12時、夕方6時に昔ながらの音色を響かせる。
また平成8年には環境庁の残したい『日本の音風景100選』に選ばれた。
Precioso ejemplo de recinto budista
松尾芭蕉の「花の雲 鐘は上野か 浅草か」と詠んだ句の鐘とはここの事。
時の鐘は最初江戸城内で撞かれてが、1626年になって日本橋石橋3丁目に移され、江戸市民に時を告げる用になったと言う。
初代の鐘は1666年に鋳造、その後1787年に谷中感応寺(現・天王寺)に鋳造された鐘が現在ここに置かれているものである。
現在も朝6時、昼12時、夕方6時に昔ながらの音色を響かせる。
また平成8年には環境庁の残したい『日本の音風景100選』に選ばれた。
江戸時代の庶民は時計なんて持っていませんでした。
そこで人々に時間を知らせるのに鐘を撞いたのです。
最初は江戸城内で撞かれていましたが寛永三年(1626年)日本橋石町に移され、元禄以降江戸の町の拡大に伴い上野寛永寺、浅草浅草寺、本所横川、芝切通し、市ヶ谷八幡、目白不動、目黒円通寺、四谷天竜寺と増えていきました。
(台東区教育委員会の案内板による)鐘を撞く順番は上野寛永寺が最初に突き、その鐘の音を聞いて市ヶ谷、赤坂、芝の順に次々に鐘を鳴らしていったと言います。
松尾芭蕉の句に「花の雲 鐘は上野か 浅草か」とあるのはこの鐘のことだそうです。
ところで時代小説を読んでいてピント来ないのが時刻です。
その原因は当時時間を表すのに、「丑(うし)の刻」や「午(うま)の刻」などと呼ぶ「十二時辰/辰刻法」と「七つ」「八つ」などと呼ぶ「時鐘/数読み法」が併行して行われていたこと、更に当時は不定時法と言って日の出から日没までの時間を6等分、日没から次の日の出までを同様に6等分とし、1日を合計12の時間帯に分ける時間の制度になっていたからです。
当然季節によって日の出から日没までの時間は変わってきます。
1日を12に分けるから1刻(とき)は2時間かと言うとさにあらず。
夏至の頃の昼の1刻は2時間より長く、冬至の頃の昼の1刻は2時間より短くなります。
逆に夏至の頃の夜の1刻は2時間より短く、冬至の頃の夜の1刻は2時間より長くなります。
春分、秋分の頃にほぼ1刻が2時間に近くなります。
このように季節によって1刻が伸び縮みしては不便だろうと私たちは思いますが、ほとんど照明など無かった当時の人々は日の出とともに農家は農作業を始め、職人は作業を開始、商人は店を開けました。
そして日没とともに農家は家に帰り、職人は作業を終え、商人も店を閉じたのです。
したがって明け六つの鐘(日の出)とともに仕事を開始し、暮れ六つの鐘(日没)とともに仕事を終える当時の人々にとって極めて自然な時刻制度だったと言えます。
さて時の鐘に話を戻します。
まず鐘の鳴らし方です。
先に述べや時鐘/数読み法は鐘の音で時刻を知らせた方法が時間を表記する名称となりました。
「時の鐘」は、先ずは捨て鐘として三撞した後、次に実際の時刻の数を撞きました。
例えば「六つ」時であれば、三回撞いた後に(最初は長く徐々に短くして)六回鐘を撞きました。
最後に「時鐘/数読み法」と「十二時辰/辰刻法」について簡単に述べます。
まず「時鐘/数読み法」は晴れた夜空に星が見えなくなる時刻(およそ日の出の30分前)を「明け六つ(あけむつ)」とし、星が見え始める時刻(およそ日没30分後)を「暮れ六つ(くれむつ)」とします。
そして「明け六つ」以降の昼と「暮れ六つ」以降の夜を各々6つに分けて、昼夜ともに順に、六つ、五つ、四つとし、正午や午前0時が九つとなり、更に八つ、七つとするのです。
その理由は中国の易学(陰陽説)に基づくもので、縁起の良い活力ある数字とされる「九」を最初の数とします。
(正午や午前0時が九つ)そこから昼夜ともに6つに区切るのですが、それを9の倍数9、18、27、36、45、54で表します。
ここで問題になるのが、9ならまだしも18や27ましてや54も鐘を撞いたら聞いている人が分からなくなってしまうと言うことです。
そこで便宜的に数字の1桁目の数だけ鐘を撞くことにしたのです。
このため9つの次が8つ、次が7つ~4つの次が9つと言う摩訶不思議な数字の並びになったのです。
次に「十二時辰/辰刻法」は暦や方位などのように、数字ではなく十二支を時刻に当てはめる方式です。
時刻を表すには太陽の方角で表すのが便利であり、方位の十二支を時間表示に換用したものと思われます。
日の出と日没の時刻は季節により変動しますが、日の出を「卯の正刻」、日没を「酉の正刻」としました。
(一刻(約2時間)をさらに初刻(一刻の始め)と正刻(一刻の真ん中時点)二分割していました。
)現在、昼の12時を正午と言うのは「午の正刻」を指します。
名前 |
寛永寺時鐘堂(時の鐘) |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
連綿と続く歴史、厳かな気持ちにされます。
下から見上げて合掌すると特別なありがたさを感じます。