日暮里駅東口を出たところにあります。
日暮里駅東口のロータリーにある太田道灌騎馬像は、僧侶であり彫刻家であった橋本活道という方の作品で、道灌の「山吹の一枝」の故事にちなんで、それを契機に文の道に目覚めた道灌がまさに「回天」の勢いで文の道を極めていったことを表現しようと「回天一枝(かいてんいっし)」という作品名を、作者の橋本氏と鈴木俊一元東京都知事がこの太田道灌騎馬像に命名したとのこと。
-山吹の里の伝説-若き日の太田道灌が狩りの途中で雨☔️に遭い、一軒のあばら家に立ち寄り、蓑(みの→昔の傘)を借りようとしました。
しかし、少女は無言で山吹の一枝を差し出し、道灌は怒って雨の中☔️を帰りました。
その後、家臣から、少女は「七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき」という(平安時代)の古歌に寄せて、蓑一つない貧しさを山吹に託したのでしょうと聞き、己の無学を恥じ、歌道にも励むようになったと言われています。
江戸城🏯を築いた太田道灌(おおた どうかん:1432-1486)の出生地は現在の埼玉県の越生町とのことで、東武越生線「越生(おごせ)駅」西口(道灌口)側にも太田道灌像があります❗️※参考写真として添付します。
頭上の笠からもしやと思ったらやはり太田道灌像だった。
武将像としてはなかなか良い造形。
江戸城を築城し江戸の基礎を築いた武将なのでもっと注目されても良い像だ。
15世紀後半。
太田道灌が鷹狩りの途中で雨に降られたので蓑を借りようと近くの貧しい農家を訪ねたところ少女が出てきて山吹の枝を差し出しました。
道灌はその意味がよくわからず家臣に尋ねると、醍醐天皇の子の兼明親王が蓑を借りに来た者に「七重八重花は咲けども山吹のみの一つだになきぞ悲しき」と歌を詠んで山吹の枝を差し出したのにちなんで、蓑と実の一つ無いをかけあわせて蓑一つ無い程の貧しい家です、と伝えたかったのでしょうと答えました。
道灌は自らの学の無さを恥じてその後、歌道を学び一流の歌人と成ったと云われています。
日暮里駅前の広場に道灌と山吹を差し出した少女の像があります。
日暮里駅東口を出たところにあります。
太田道灌は武将としても学者としても評価が高い人物ですが、ここでは、和歌を習うきっかけとなったストーリーも一緒に紹介されていました。
そのストーリーとは、「ある日 急な雨に打たれてびしょ濡れになった道灌が、蓑を借りようと近くにある農家に駆け込んだのだが、その家の娘は山吹の枝を差し出した。
道灌は憤ったが、実は、この山吹の枝は「実の」と「蓑(ミノ)」を掛けた古歌に託して、お貸しできる蓑も御座いません。
と詫びていたことを知り、これは和歌の道に精進することになった」というもの。
たしかに、学がないことで相手の心情を掴めないことはどの時代でもありますから、多くの人の気持ちを汲み取るために学問は必要だと思う。
だけど、こんなややこしい伝え方をした農家の娘も困ったもののような気もする…。
すぐ近くには、山吹の枝を差し出した農家の娘の銅像も立ってます。
山吹の里伝説はけっこう色んな所が場所を主張しているので、この辺りもその一つなのでしょう。
しかしここの紅皿さんの像、少々お顔の作りが不気味でして、かなりイメージと違うのですが・・・。
個人的には新宿中央公園に建つ「久遠の像」の紅皿さんのほうがイメージが近い気がします。
ポーズ、手のつき方など時代考証もしっかりしているそうですし。
ちなみに紅皿のお墓は新宿の大聖院にあります。
境内駐車場の隅にひっそりと。
日暮里駅前にある。
東京国際フォーラムの弓を持った像の方が、自分に散っては馴染み深いが、こちらの像もなかなか迫力があって良い。
待ち合わせ場所の目標としては最適。
日暮里駅前にある騎馬像。
大抵の騎馬像は鎧兜を身に付けたものが多い(皇居外苑の楠木正成像等)が、この像は鷹狩りにでも向かう様な軽装の騎馬像で印象的である。
太田道灌像は東京国際フォーラム内にもあり、こちらも鷹狩り姿の立像である。
他に埼玉県、神奈川県にもある。
関東で1番有名な武将ですね!
この道灌一人、時の流れに抗い続けよう。
馬に乗ったおっちゃんの像。
多分昔の武将か何かと思われるが地元じゃないので由来は知らないのだ…
江戸城を作った人。
ベリーグッド。
日暮里駅前に躍動感溢れる銅像があり、其が太田道灌の像である。
都内にはここ以外にも有楽町の東京国際フォーラム内の立像が有名である。
因みに下の写真は東京国際フォーラム内の太田道灌像。
名前 |
「回天一枝 -太田道灌騎馬像-」橋本活道 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www.city.arakawa.tokyo.jp/a015/shisetsuannai/sonota/sonota043.html |
評価 |
3.5 |
初めはなんの銅像か分かりませんでしたが、近くに行って見ると太田道灌だと知って驚きました。
太田道灌については、名前しか聞いたこと無かったのですが、これをきっかけに太田道灌を知ることができました。