名前 |
田中久重の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
江戸時代後期から明治にかけての発明家であり、「からくり儀右衛門」と呼ばれた田中久重の墓。
また「東洋のエジソン」とも呼ばれる。
田中久重は、江戸時代の終わりに、久留米城下の通町十丁目に生まれた。
小さい頃から手先が器用で、9歳の時、寺子屋仲間に自分の硯箱に悪戯されたことがきっかけで、巧妙な鍵機構を使った自分だけにしか開けられない硯箱を作って周囲を驚かせた。
また地元の五穀神社の祭礼などでからくり人形の屋台を上演し好評を博したという。
その後、からくり人形師として大坂や京都に移住し、無尽灯や懐中燭台などの生活利器や、和時計の最高傑作といわれる万年時計などを製作した。
50代になってから佐賀藩や久留米藩に招聘され、蒸気機関や大砲の研究開発・製造等に取り組むなど、日本の近代技術の発展に大いに貢献した。
晩年は銀座に店舗兼工場を構え、その後進が東芝へと発展することになる。