名前 |
宗休庵 隆昌院 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0466-23-2492 |
住所 |
|
評価 |
4.3 |
ヤオコーへ行く途中、駐車場にあったお寺の由緒書に「浅野内匠頭」の名前を見つけて、先日「浅野内匠頭終焉の地」を訪ねたばかりだったので、御縁があるなぁと驚きました。
由緒書によれば、こちらのお寺は播州赤穂の城主浅野内匠頭の家臣奥田孫太夫の末子が、君父菩提のため建立したそうです。
奥田孫太夫は、大石内蔵助や堀部安兵衛等とともに吉良邸表門から討ち入った四十七士のメンバですね。
こちらは、「柄沢の鬼子母神」と呼ばれていて、安置されている子育厄除鬼子母神は、日蓮上人が開眼したと伝えらているそうです。
松葉ヶ谷の安国論寺へも最近行ったばかりなので、こちらにもご縁を感じます。
何かのお導きなのでしょう、折角なのでお参りさせて頂きました。
立派な本堂です。
本堂の前には「祈願回向 一回一誦」と書かれた石のローラーがあり、ローラーの部分にお経が書かれていました。
これを1回回すと、お経を全部唱えたことになるそうです。
有難く回させて頂きました。
由緒書の内容は以下の通りです。
隆昌院縁起柄沢山宗休庵 隆昌院 通称柄沢の鬼子母神創立 元禄十六年(西暦一七〇三年)約二九五年開山閑攝院相休日心上人播州赤穂の城主浅野内匠頭の家臣奥田孫太夫(武具奉行)の末子、君父菩提のため鎌倉に来たり両山(鎌倉妙本寺、池上本門寺)二十四世日等の法弟となり比企永代千部会を開闢し、その法勲により日等より鬼子母神像を賜り当地に当院を建立する。
その後天堂大破し、文久三年(一八六 三年)今日の本堂を再建す。
当山安置奉る子育厄除鬼子母神は日蓮上人が松葉谷草庵に中老日法上人に彫刻させ宗祖開眼の尊像と伝えられ、のちに比企大学に与え妙本寺に格護、両山六世日行に夢告あり両山七世日寿(稚児貫主 )を現出させた由緒ある尊像といわれる。
以後、現在に到るまで子供の守護神として子授け、安産、育成、虫封じ、命名、厄除け等でご利益甚大にして信者参拝多し、 病弱の子供が丈夫になり、長命を得た人々の孫を連れ、この参多数あり。
寺宝小湊二十九世本尊、霊鷲院日審所持法華経一部八巻、小川泰堂 自筆額。
小泉八雲全集十八巻。
三巻十八頁に江の島より帰途鬼子母神参拝の著述あり。
当院であろうと言われている。