住宅地のなかにひっそりと佇んでいます。
住宅地のなかにひっそりと佇んでいます。
本殿は国指定重要文化財です。
棟木銘への記載より西暦1345年の建築と推定されております。
以降、明治以降7回を含めて、11回の修理の記録が残っているようです。
「畝傍の道」 巻の一の五 人麿神社(ひとまろじんじゃ)地黄町その昔存在した「南の横大路」が歴史的意義を持ちますので、その指標が存在する東西の領域は「畝傍の道」の周遊範囲に入れるここといたしました。
すなわち、西の金橋村石標周辺から東の飛鳥川までを範囲としました。
こちらは三十六歌仙のひとり、柿本人麻呂を祭神とした神社です。
「東(ひむがし)の」で始まる歌はあまりにも有名で、大仏建立の際の純金不足が大きな問題になった奈良時代にその金の大量算出でときの聖武天皇から大絶賛された宮城県涌谷町の黄金山神社にも歌碑と掛軸として設えられています。
境内の前面道路沿いには、人麻呂ならではの歌が設えられてあります。
この歌は、「石見相聞歌(131~)」同様、ある体験に基づく語り歌で、宮廷人に披露された長歌に対する短歌です。
その長歌は、同じ橿原市の「牟佐坐神社」(近鉄岡寺駅前)の山裾に設えられています。
(亡くなった妻の幻影に対して袖を振るという内容の長歌です)万葉歌碑(人麿神社の境内、一の鳥居の入り口付近)《橿原市観光政策課発行/橿原の万葉歌碑めぐり No.05 平成31年3月発行》秋山の 黄葉(もみち)を茂み 迷(まと)ひぬる妹(いも)をもとめむ 山道(やまぢ)知らずも柿本人麻呂 巻2-208秋山の黄葉が茂っているので道に迷ってしまった妻を探そうにも、山道を知らないのだよ神亀元年(724年)3月18日、主に宮廷内の歌人として過ごした人麻呂も最後は愛する妻たちを追うように石見の国(伝承)で最期の歌を詠んで旅だったといわれています。
万葉集 巻2-223鴨山(かもやま)の 岩根(いはね)し枕(ま)ける われをかも知らにと妹(いも)が 待ちつつあるらむ鴨山の山峡も岩を枕にして行き倒れている私なのに、何も知らずに妻は私の帰りを今日か今日かと待ち焦がれていることであろうか人麻呂の妻の一人の生誕地は、大和高田市根成柿(ねなりがき)の天満神社ということです。
こぢんまりでした。
自宅近くで大発見!
名前 |
人麿神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.1 |
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三十六歌仙の一人、柿本人麻呂をお祀りしている神社ですなのに普段は人を見かけることも稀です周囲には住宅の他何もありません土産物屋も飲食店の一軒もないのです奈良県では何も珍しくもなんともないのです今井町の北西の順明寺の門前から徒歩10分ほどの所にひっそりとあります途中に蘇我入鹿をお祀りする入鹿神社、重要文化財の大日堂があります。