現在、母屋は「川崎市立日本民家園」に移築されていま...
原家九代目が24年の歳月をかけて建築した母屋がありました。
こちらは生田緑地の日本民家園に移築されていますが、中原街道沿いの「陣屋門」はそのまま保存されています。
その保存された「陣屋門」は瀟洒なマンションのオープンスペースとして見ることができます。
また、門のそばには樹齢約350年のケヤキも残されたいて、江戸の風情が伝わってきます。
そういえば、生田緑地の日本民家園に移築された原家の母屋は総ケヤキ造りの豪華な建物です。
そちらと合わせ見ると風情を増します。
中原街道に溶け込んではいますが、むしろ、中原街道の景色のコアとなっている空間だぁと感じます。
旧原家陣屋門と邸内社。
ブラタモリにでも出て来そうな歴史的な遺産です。
新し(綺麗)過ぎますが、公開空地としては充分機能していると思います。
建物の入り口の灯篭(?)のデザイン、鷹狩り&参勤交代をモチーフにしていて、洒落ています。
江戸時代初期、東海道が整備される以前に江戸に向かう主街道が中原街道。
原家は中原街道で代々名主を務める旧家で、現在も街道沿いにも屋敷が存在する。
原家母家は9代目文次郎により1913年完成させたもので、当時の木造建築技術の高さを窺わせる総ケヤキ造りであった。
2001年川崎市の重要歴史記念物に指定。
中原街道拡張工事やマンション建築により、現在母家は多摩区川崎市立日本民家園に移築されている。
陣屋はそのまま保存されマンション建設に際して、当時の景観雰囲気を残し、また歴史的意義を保存継承する工夫がされていて。
この中原街道の当地区では、このように古き伝承などを残す運動が盛んで有意義である。
何となく奥に控える高級住宅が原家の母屋なのか....と想像してしまいました。
御殿は将軍がお休みする場所。
ここへは徳川家康や徳川秀忠が、鷹狩りを楽しみに来ていたそうです。
原家は名主をつとめた名家で、現在でも立派なお屋敷が残っています。
江戸時代から手広く肥料商を営み、石橋を多くの場所に架けたことから石橋という屋号で呼ばれていたようです。
原家九代目の文次郎氏は、1889年から24年の歳月をかけて、この地に母屋を1913年に完成させたそうです。
総ケヤキ造りの母屋は、当時の高度な木造建築技術を駆使した建築物であり、2001年に川崎市の重要歴史記念物に指定されています。
現在では十一代目正巳氏の願いもあり、母屋は多摩区の川崎市立日本民家園に移築され、多くの人が郷土や先人の智恵について学ぶ学習室として利用されています。
中原街道沿いの旧原家の跡地で、現在、母屋は「川崎市立日本民家園」に移築されています。
原家は名家で、江戸時代から手広く肥料商を営み、石橋を多くの場所に架けたことから石橋という屋号だそうです。
今も立派な門構えが残っていますが、横に回り込んでみると、母屋の跡地にはマンションが建っていた。
けやき造りの立派な門です。
門をくぐるとマンションになっていました。
大きな門と解説標識があります。
跡地は高級マンションになっており、史跡としては見どころは少ないです。
門だけ作られてます。
中原の歴史がわかる場所です。
名前 |
旧原家母屋跡地 |
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ジャンル |
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住所 |
〒211-0062 神奈川県川崎市中原区小杉陣屋町1丁目15−18 |
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.6 |
新丸子駅から程近い中原街道沿いに緑豊かで綺麗な原家旧住宅表門(陣屋門)があります。
門を潜ると右手に稲荷社があり、正面には旧原家母屋跡地にマンションが建てられています。
マンションの1階部分には小杉の歴史が展示されています。