黒地蔵尊を奉拝して参りました。
とても大きなお寺様です。
敷地面積は、かなり大きくて、中庭は見事な老松、素晴らしいです。
観音様は、位牌堂の中央にあり、インターホンを押してから、ご案内していただけます。
かなり広いお寺さんです…立派な位牌の沢山ある場所に観音様があります。
玄関から入って結構奥の方でした。
2022.9.24
庄内33観音14番札所。
かなり大型の寺院で、観音堂の他にも色々あります。
ほかにはインパール作戦であの悪名高い牟田口廉也に抗命した佐藤幸徳中将のお墓と顕彰碑があります。
その関係でお寺内部にもインパール作戦関係の資料が色々。
曹洞宗の古刹です。
2020年7月6日から10日まで、秘仏の御開帳が20年ぶりにあり、黒地蔵尊を奉拝して参りました。
戦国時代は、出羽安保氏の本拠地の余目館があった場所です。
境内には、かつて余目を治めていた安保家16代当主の安保能形の供養塔があります。
安保能形が1575年に病死すると、庄内平定を目論む大宝寺義氏が余目に攻め入る。
安保能形の弟の田尻館主・与次郎が代わりに防戦に努めるも敗死した。
余目は大宝寺領となり、大宝寺家臣の梅木氏が余目館(現在の乗慶寺)に入った。
乗慶寺は庄内三十三観音十七番札所曹洞宗 梅枝山・乗慶寺です御本尊は《如意輪観世音菩薩 》余目城主の菩提寺なんだそうです大きなお寺で境内には歴史のある石塔や石碑が多く見られました山門も威厳があります位牌堂でお参りいたしました御朱印は入り口の受付でお願いしお参り終わったらできていました駐車場も広く10台位停めれます。
駐車場もあり、近くにはスーパーなどもあり、クルマでも立ち寄りやすい場所です。
不条理だけど、でも忘れてはならない、勇気をもらえる歴史の一幕に出会えます。
機会あれば、ぜひ、お立ち寄りください。
"つわものの生命救いし決断に 君は問われし抗命の責め" 乗慶寺の境内にある「顕彰碑」より1944年、太平洋戦争の中でももっとも無謀な作戦の1つ「インパール作戦」のまさに「狂気」のなかで、指揮官として正常な思考とバランス感覚、判断力を保ち、「その時」「その場所で」「自らにしかできないこと」を適切に行動に移した指揮官(当時、陸軍中将。
第31師団長)に対し、同師団の有志の方々が捧げた追憶の碑。
この「抗命撤退」後、上官より師団長を更迭され、結局、不起訴処分になったにも関わらず、陸軍/大本営/政府から無視、軟禁され、終戦後も名誉回復されることなく65年の生涯を終えた人間、佐藤幸徳(こうとく)。
※インパール作戦の「抗命撤退」については、ある程度有名であり、碑文や説明文もあるので、ここでは割愛。
彼は「抗命撤退」に先立つこと6年前にも、歴史の一幕に登場している。
45歳だった太平洋戦争前の1938年、満州東南端の沿海州(現北朝鮮とロシア国境)で、日ソ双方1200余名の戦死者を出したソ連による国境侵害「張鼓峰事件」に、連隊長として派遣された。
夏とは言え、そこは北の大地。
橋などない国境に流れるがままの大河「豆満江」(とうまんこう)の対岸(ソ連側)にあり、孤立無援に突出した標高150mほどの小さな丘陵地帯「張鼓峰」(ちょうこほう)。
ソ連は豆満江下流の海岸線に広がる平坦な地域を支配していたが、小規模とは言え、国境河川の河口に位置する標高のあるこの丘を戦略的観点から欲し、軍を集結させた。
この動きを無線傍受で察知した関東軍は現場指揮官に佐藤を連隊長として派遣。
まもなく双方の偵察隊が接触、瞬く間に戦闘状態に発展する。
戦車や銃砲で機械化し、爆撃機やウラジオストクに停泊する太平洋艦隊艦艇まで動員したソ連軍は、一方的かつ執拗な攻撃を繰り返した。
佐藤の連隊は戦車による砲撃と爆撃機による空爆に晒されながら、劣勢な装備と1/3の兵力で小さな丘を守り、耐え忍ぶしかなかった。
日中戦争で忙しく、シベリア出兵以後、ソ連軍を馬鹿にしていた陸軍や反応の鈍い政府が、ソ連軍の状況分析に手間取っている間、佐藤は守備隊長として、日ソ両政府が停戦合意するまでの14日間、7000名の兵卒らと共に国境の小さな丘、国境線の陣地を守り抜いた。
わずか2週間の戦闘で、部隊損耗が半数にも達する大損害を受けたが、佐藤の死後数十年後、ソ連崩壊による1993年の文書公開で、ソ連側の損害は遥かに大きかったことが判明している。
その上、ソ連側の指揮官ヴァシリー・ブリュヘルは、状況把握と部隊統率のまずさ、小さな丘ひとつ奪取できなかったことをスターリンに咎められ、粛清されたことも後年わかっている。
事実に基づいた功績から、本来、人は評価されるべきである。
今や現代日本が、そこに日本人が足跡を残したことさえ忘却の彼方に忘れ去り、振り返ることすらまずない遠い歴史の、暗く淀んだ片隅で「あれは一体何だったんだ?」「日本って何?」「人間がその人生で、大切にしなければならないものは何?」などと問いかけてくる。
いつのことか、名前も知らないはるか世界の辺境の地でボロ雑巾のように生命を落とすしかなかった多くの無名の魂を前に人は何のために生きるかを考えさせてくれる。
時を越えた光を放つ、稀有で、偉大な魂に心から敬意を捧げたい。
名前 |
梅枝山 乗慶寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0234-42-3410 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
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至徳元年(1384)開山。
開基は余目城主、安保太郎助形らしい。