Very nice Nichiren temple...
法事で御世話になっています。
住職さんたち すごく良いかた‼️
日蓮宗寺院。
山号を長経山。
1601年(慶長6年)二ヶ領用水の開削を指揮した小泉次太夫が小杉村(川崎市中原区)の廃寺を妙泉寺と名付け再建。
1612年(慶長17年)徳川家康・秀忠が鷹狩りの際、小杉の陣屋を訪れた際、安房安田(千葉鋸南町)の妙本寺より日純を招聘。
その後日純が秀忠東海道川崎宿砂子に土地を与えられ、妙泉寺をその地に移し妙遠寺に改称し建立した。
1952年(昭和27年)区画整理の為、現在地に移転。
街角に建つお寺は、きれいに整備され訪ねやすい。
掃除のお坊さんが挨拶してくれました♥
東海道本線”川崎駅”の東側に有ります。
泉田二君功徳碑 と、その説明板があり、下のように書かれていた。
川崎市が現在のように発展するまでには、多くの先人たちの努力がありました。
なかでも、江戸時代に活躍した小泉次太夫と田中休愚(きゅうぐ)の功績は、忘れることができません。
小泉次太夫(1538~1623)は江戸時代初期の人で、徳川幕府の用水奉行として、二ヶ領用水・六郷用水の開削工事の総指揮をとりました。
稲毛領(現在の多摩区・宮前区・高津区・中原区および横浜市港北区北部のあたり)と川崎領(現在の川崎区・幸区のあたり)の二つの領をむすぶ二ヶ領用水は、慶長二年(1597)から慶長十六年(1611)までの十四年間をかけて開削された人工の農業用水で、県内では最古とされています。
田中休愚(1662~1729)は江戸時代中期の人で、衰退しかけていた川崎宿を建て直したり、大岡越前守忠相に認められて勘定支配格となり、二ヶ領用水の改修などで活躍しました。
また、大著「民間省要」を書き上げ、幕府の政策に対して庶民の立場から提言を行ない、民政に大きな業績をあげました。
この功徳碑は、二人の功績を後世までたたえるために、苗字のうちから一字づつをとって泉田二君功徳碑と名づけられ、明治二十二年(1889)に建てられました。
日蓮宗寺院。
平成27年6月参拝。
川崎駅から徒歩で行けます。
境内綺麗です。
Very nice Nichiren temple and good people
名前 |
妙遠寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
044-222-7162 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 6:00~18:00 |
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
長年飼っていた愛犬を亡くし納骨出来ずにいましたが こちらのお寺の入り口にペットのお墓があり納骨させて頂き月命日にはお参りしています静かな妙遠寺さんです。