小さな神社(ほぼ祠)と鳥居しかない。
小杉御殿(こすぎごてん)は、江戸時代初頭の慶長13年(1608年)に徳川秀忠が中原街道沿いに造営した。
約4万平方メートルもの広大な敷地に御主殿、表御門、御殿番屋敷、御蔵などが建てられ、民情視察を兼ねた「鷹狩り」や、江戸に向かう諸大名などの休憩所として利用された。
中原街道がクランク状になった場所の西側、現在の西明寺の境内にあった。
江戸時代初期にはまだ東海道が整備されておらず、中原街道は江戸と元箱根を結ぶ主要な街道とされていた。
徳川家康は上洛、駿府往還に用いたという。
鷹狩、考察 などで中原街道を利用した。
将軍の宿舎として使用するため、1608年には徳川秀忠によって、小杉陣屋の西隣に小杉御殿が造営された。
江戸から来た中原街道が南に直角に折れ曲がる場所、その西端は西明寺の門前であり、街道の北側に沿って東西に長い敷地だった。
この場所が小杉御殿の御主殿があった場所になります。
東海道が整備されると、中原街道を通る大名が減少、小杉御殿の存在意義が薄れた。
小杉御殿は、1655年に建物の一部が品川の東海寺に移築され、1672年には残りが上野弘文院に移築され、小杉御殿は廃止された。
小杉御殿が廃止されたのは1660年であるという説もある。
今では民家の一角かな。
何か跡が残ってるわけでなありません。
小さなお社があるだけで、当時を偲ぶものは残っていません。
こぢんまりとしていますが、確かに歴史を感じることが出来ます。
ブラタモリに出てきました。
ここが昔の小杉の中心で、中原街道沿いに100×170メートルの御殿があったそうです。
小さな神社(ほぼ祠)と鳥居しかない。
ただし、由来などが書いたプレートが設置されている。
祠と説明があるだけです。
名前 |
御守殿稲荷 |
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ジャンル |
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電話番号 |
044-200-2029 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.2 |
江戸時代、ここに、徳川秀忠が、小杉御殿を建てて、本殿が、あった場所です。
今は、小さい神社のみ残ってます!良かったです!