大倉からこの地に移された。
ここに鎌倉幕府があったのか?と思うくらい住宅街のど真ん中にあります。
北条政子の死後12年間程の設立だったので繋ぎの役割くらいの位置付けだったのでしょうか。
2022.11.20泰時の時代に鎌倉殿の住居兼政庁の幕府が、大倉からこの地に移された。
大正10人に立てられた案内の石碑とともに、お稲荷さんがたっている。
三代執権北条泰時によって大倉幕府から移転されたが、わずか11年で若宮大路へ移った。
政庁跡の範囲は推定でしかわからず、住宅地のため発掘も断片的にしかできず、遺構と呼べるようなものはない。
政庁内に鎮座していたとされる宇都宮稲荷神社のみが現存するが、境内は狭小で当時のままではないだろう。
「宇都宮辻子」の地名は、有力御家人だった下野国の宇都宮氏の居館があったことにちなむ。
歴史の順序とは違いますが、大倉→若宮大路→宇都宮辻子と幕府跡を巡りました。
今と昔は違うのでしょうけれど、本当にこんなところに幕府が置かれていたのかと思うくらい狭い路地です。
とくに宮大路幕府から宇都宮辻子へ向う路地は狭く入り組んでいたので、迷子にならないように地図を片手に歩いていたのですが、途中で見つけた神社で手を合わせようと思わなかったら、宇都宮辻子幕府跡を通り過ぎていたかもしれません。
ちなみに、辻子とは、細道、小道といった意味だそうで、見つけた神社は、宇都宮稲荷神社でした。
どなたかの、お導きで幕府跡へたどり着けたのかもしれません。
承久の乱から3年後、北条義時が死去し、北条泰時が3代目執権になったが、翌年には、北条政子と大江広元といった幕府の重要人物が死去し、心機一転するために、宇都宮辻子に幕府を移したとのこと。
宇都宮氏の邸宅があったことから「宇都宮辻子幕府」と呼ばれ、12年間幕府が置かれたそうです。
いままで、鎌倉はお寺のある古くからの観光地くらいに思っていましたが、武家社会が確実に存在していたのですね。
源頼朝が坂東一の弓取りと讃えた男。
宇都宮朝綱 ゆかりの神社です。
歴史を感じます。
鎌倉駅より、徒歩10分位の住宅地に、佇む。
稲荷神社として、残っている。
稲荷神社と石碑が目印です。
住宅街にヒッソリ。
名前 |
宇津宮辻子幕府 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.8 |
若宮大路のカトリック教会のところを入って行った住宅街にあります。
北條政子が亡くなった後、三代執権北條泰時が大倉幕府をここに移しました。
四代将軍九條頼経が若宮大路に幕府を移すまでの11年の間ここが政治の中心となっていました。