説明板があり、下のように書かれてました。
説明板があり、下のように書かれてました。
この辺りは、もと城山町とよばれ、谷戸運動公園裏に幅5.4mほどの土塁が残っていました。
延宝三年(1675)の村の記録には「中野村のうちに900坪ほど土手を築き、空堀を掘ったところがあり、これを昔から城山と申し伝えている。
そこはもともと名主・堀江卯右衛門の先祖からの屋敷地で、今は年貢地になり、代々卯右衛門が所持している。
」とみえています。
堀江氏は天正四年(1576)戦国大名後北条氏領中野五郷を治める小代官を務め、次いで豊臣秀吉の指令もうけた中野の土豪でしたから、戦国末期の城山は、小城砦を兼ねた土豪屋敷であった事が考えられます。
湧水のある中野川の谷戸をおさえ、野方丘陵の東南を占める城山は、平忠常の城砦跡、あるいは豊島氏と戦った太田道灌の陣地「道灌砦」跡などともいわれています。
名前 |
中野城山居館跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
2.8 |
広場の入口に看板だけです(´Д`)