東京湾の入り口、浦賀水道を見渡せます。
浦賀燈明堂(横須賀市西浦賀) / / .
歴史的な場所が多数点在している中のひとつ。
むかし灯台のような役目をしていた復元のようですか素晴らしい場所にあり海を守る納得の場所です。
前の浜では海水浴などをすることができます。
今回は砂浜を歩いただけでした。
砂浜は貝がたくさん落ちていて荒いのでサンダルや靴は必須です。
裸足で歩くと足を切ってしまうと思います。
自分が行った時はシーグラスがたくさん落ちてました。
集めたい人は袋などを持っていくと良いと思います。
建物(外観のみ)と案内板がひとつあるくらいなので、数分でめぐり終えます。
千代ヶ崎砲台跡のついでくらいがちょうどいいですね。
夏だと海水浴客ばかりで、これを観に来る人のほうが珍しいです。
シーズンオフにしか行かない場所。
夏は混んでいますが、オフの時期は閑散としていてのんびりできますよ。
駐輪場や自販機もあり、トイレが近かったら良かったんですけどね。
ここから千代ケ崎(以降の刑務所側は侵入禁止)にかけて地磯も水深が浅く、砂浜も海藻だらけなのでフツーに釣りになりませんが、多量のウィードをうまく躱せるスタイルの釣りならば穴場に化ける可能性あり…と思います。
それ以前に、来られる方は観光+レジャー勢ばかりなので、オンシーズンに釣りするのは肩身が狭いかも知れません。
燈明堂についての看板の内容慶安元年(1648)幕府の命でつくられた 日本式の灯台である燈明堂灯は明治5年(1872) でその役割を果たしました。
燈明堂の背後の山には平根山台場がつㄑられ 外国船に備えました。
平根山台場は天保8年 (1837) 日本人漂流民を送り届けに来航した米商船モリソン号を最初に砲撃した台場として知られています。
ここから海常沿いに海に突き出た所には幕末期 に、千代ヶ崎台場が作られました。
燈明堂付近には供養碑などが立ち並び、かつてここが首切場と呼ばれた浦賀奉行所の処刑場だった ことが偲ばれます。
浦賀行政センター市民協働事業・浦賀探訪くらぶ。
ここは横須賀の中でも一番海が綺麗でなおかつ景色の良いところですね。
対岸の房総半島やコンテナ船や自動車専用船などもよく見えて昔の人がここに灯台を作ったのがわかります。
灯明台の周りもベンチや歩道、駐車場も整備されていて子供ずれには良いところ思います。
しかし灯明台の先端は高い崖になっているので危険なところもありますので注意が必要です。
また岩が波に侵食されていて表面がツルツルして滑りやすくなっていますので子供さんだけでなく大人も注意が必要です。
澄んだ岩礁の海に突出したとても小さな岬に建つ燈明堂。
復元された歴史的な建物です。
周辺は浦賀湾と東京湾に広々と望む公園として整備されています。
浦賀燈明堂へ続く細道、海岸への分岐に侵入を阻むような看板がありますが、道の先には立派な公共駐車場が用意されています。
料金も手頃で安心して過ごせます。
ここは浦賀港の入口にあたり、江戸時代には奥に浦賀奉行所が存在し、明治時代以降は東京湾要塞の重要拠点として港のすぐ外には要塞最強クラスの305ミリ(12インチ)連装砲塔を備えた千代ヶ崎砲台がありました。
灯明堂は建物の2階で直径36センチ程の、巨大な銅製の皿で菜種油を燃やして航海の目印とするもので、江戸時代初期から明治まで一日も休まず220年間続けられたのだとか。
もちろん港全体を照らすほどの明るさはありませんが、ベテランの船乗りになると他の山や岩礁などの目標も捉えて、三角測量で海上でかなり正確に自分の位置が把握出来るのだそうです。
現地の案内板を見ると、この場所は同時に「首切り場」と呼ばれる浦賀奉行所の処刑場でもあったようで供養塔や地蔵が並び、なにやら物寂しい雰囲気も漂います。
人魂が沢山出れば、明るいし燃料代もかからず灯台の代わりになって便利だな、などという不謹慎な事を考えたのは多分私ぐらいでしょうね。
(笑)
地元民には首切り場と呼ばれています。
江戸時代には処刑場兼晒し首置き場でした。
横須賀近辺では最高ランクの有名な心霊スポットです。
密漁禁止の看板も近くにありますが、海に入ると、時に、海底に引き摺り込まれるそうです。
東京湾の複雑な潮流も一因なんだろうけどね。
他所から来た人は、こんなキレイな穴場スポットがあるんだぁってなるのですが、ここに地元民が誰もよらず、商店を出して観光地化しないのは、ぶっちゃけそういうことです、、、。
ここに首切り場を置いたのは、東京湾入り口の灯台で犯罪者をさらし者にすることで、浦賀奉行の言うことを守らなければこうなるぞという威しです。
ただしペリーにはまったく効きませんでした((^^;)
東京湾の入り口、浦賀水道を見渡せます。
おがさわら丸が白い船体を光らせて竹芝桟橋に向けて通りました。
双眼鏡を利用すると、沢山の船の航行を楽しめます。
ここまでの道は狭くてスレ違いが辛いので、大きな車で行くのは避けたほうが良いです。
慶安元年(1648)幕府の命により造られた灯台だそうでとても趣があり綺麗な場所ですが、かつて首切り所だったんですね…訪れたのが冬だった事もあって地元も殆どおらず静かに過ごす事が出来ます。
台風の爪痕がありますね海岸の掃除をしていた方々お疲れ様ですトイレが200メートルくらい歩くかな?女性にはつらいかも…売店もないですよ‼️海は綺麗です❗️✨✨
海浜公園として☆☆☆☆海水浴場として☆歴史史跡として☆☆☆☆浦賀灯明堂と言う江戸時代初期の慶安元年(1648年)に作られ明治五年(1872年)まで稼働していた灯台の在る歴史有る綺麗な場所です。
白砂の砂浜がとても美しい海岸。
海の家は無く、それに代わる施設も無い。
トイレも200m離れているので、海の美しさに反し海水浴場としては評価は低くなる。
江戸時代の灯台近くに住んでいたこともありますが夜中は、かつての処刑場だったこともありかなり不気味です。
ちなみにこの近くにある隙道は、タモリ倶楽部でも紹介されています。
横須賀には隙道が多く紹介されていました。
駐車場までの道が狭く、駐車料金も結構高いです。
海岸に多少ゴミが多いのは気になりますが、東京湾の水でもこんなに綺麗なんだと思える、いいスポットだと思います。
白砂青松の場所です。
三浦半島では、数少ない白砂の砂浜があります。
昔の灯台、所謂燈明堂があります。
復元ですが、良く出来てます。
駐車場は、1000円と少し高目です。
トイレは、駐車場から150m程歩けばあります。
ゴミ箱は撤去されたので、持ち帰り下さい。
子供の頃からの遊び場です。
名前 |
浦賀燈明堂(横須賀市西浦賀) |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
明治期に作られたそうです。
海岸はきれいで、対岸の房総半島や行き来する船が素敵でした。