段葛からだとよくこの鳥居が見えます。
鶴岡八幡宮の入口の大鳥居。
参道「段葛」はここで終わります。
三の鳥居は徳川四代将軍家綱によって寄進され、当時は石でしたそうです。
関東大震災で倒壊し、今は鉄筋コンクリート。
6.鶴岡八幡宮参道:鶴岡八幡宮の参道は若宮大路と呼ばれる。
由比ヶ浜から八幡宮まで鎌倉の中心をほぼ南北に貫いており、京の朱雀大路を模して源頼朝が自らも加わり築いた。
鳥居と段葛(だんかずら)若宮大路には、3つの大鳥居があり、一ノ鳥居付近から三の鳥居まで段葛が続いていたそうです。
現在は、二の鳥居から段葛と呼ばれる車道より一段高い歩道がある。
この段葛は、二の鳥居の辺りでは幅4メートルほどだが、三の鳥居では幅が約3メートル程度となっており、先に進むほど徐々に細くなっている。
人間の目の錯覚を利用し、参道を実際より長く見せるようになっている。
そこを抜けると三の鳥居があり、境内へと到る。
3つの大鳥居は、地震や火災により幾度も建て替えられた。
現在の一ノ鳥居は、約350年前の1668年(寛文8年)、江戸幕府第4代将軍、徳川家綱によりそれまでの木造ではなく、備前国犬島産の御影石(花崗岩の石材名)によって造られました(明神鳥居の典型といわれ、高さ8.5m、柱の太さは92センチです) 。
関東大震災(1923年(大正12年)9月1日)により3つの鳥居は倒壊しましたが、1936年(昭和11年)に一ノ鳥居は、江戸時代の元の材料を最大限に活用し、補足材料は徳川家綱と同じく備前犬島に求めるなど当初の美観を損なわないように再興されました。
一ノ鳥居は浜の大鳥居とも呼ばれ、国の重要文化財に指定されています。
・源頼朝によって造られた一ノ鳥居は、現在の一ノ鳥居よりも鶴岡八幡宮寄りにあったと考えられます。
(由比ヶ浜歩道橋のこの下に「浜の大鳥居跡」があります)
二の鳥居から続いていた源頼朝が築いたという段葛がここで終わり、遠近法のせいで遠く見えた三の鳥居はゆっくり参道を歩いていたのにすぐに着いてしまいました。
徳川家綱が寄進した石鳥居は関東大震災で倒壊したので、再建し、コンクリート製ですが、充分馴染んでいるように感じられます。
鳥居の前は車道なので撮影は要注意です。
若宮大路の最終地点、鶴岡八幡宮の入り口にあります。
赤くて立派で凛々しい姿の大鳥居ですが、現在の物は鉄筋コンクリート造りだそうです。
その前の物は江戸時代に四代将軍家綱によってつくられた石造りの物だったそうですが、関東大震災で倒壊してしまったとの事です。
とても込み合う場所です。
鎌倉鶴岡八幡宮の入口に建てられいる若宮大路で最も八幡宮に近い朱色の鳥居。
徳川幕府4代将軍家綱によって一の鳥居・二の鳥居とともに1668年(寛文8年)建てられ当時は石造であった。
大正期の関東大震災で倒壊。
コンクリート製で再建された。
三の鳥居からの鶴岡八幡宮の景色は有名。
鳥居前の交差点は朝比奈方面(金沢街道)からの合流地で若宮大路をUターンする車両などで渋滞を引き起こす。
先日、渋滞時大型観光バスがここをターンしようとし大迷惑だった。
名前 |
三の鳥居 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0467-22-0315 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
ここは三の鳥居です。
二の鳥居は段葛の入口に、一の鳥居はさらに海側です。
尚、一の鳥居だけ赤ではありません。