昔は滑りを楽しむことができました。
鶴岡八幡宮本堂へ続く橋です。
中央の橋は鎌倉時代、実際に使われたそうです。
現在は通ることができません。
現在は中央の橋の左右に新しく増築された橋でわたります。
今日は、雨でしたのでもしこの橋を渡れたとしても滑って転んで渡りきれなかっただろうと思うくらいに盛り上がって湾曲してます。
何故にここまでなのか!?
昔は上を歩けたんだよー 怪我する人がいて入れなくなってしまったのかな家族で一緒に渡れた俺はラッキーなのかも!見てるだけでも御利益ありそうなんで行ってみてねバイクは無料駐輪場あり!
いつも八幡宮に来るとき考える。
若宮大路は、海から鶴岡八幡宮まで、海と繋がるかのように頼朝がつくったと言われる。
三の鳥居をくぐった所に太鼓橋はある。
今の橋は、角度がキツく人は渡れない。
デフォルメされて造られているのか知らない。
海と宮が繫がらない。
いつからこうなったの。
近代合理主義かな。
鶴岡八幡宮の太鼓橋は、1182年に源平池が造営されたときに架けられたものと考えられている。
将軍家が鶴岡八幡宮を参拝するときは、この橋で輿を下乗したのだという。
当時は朱塗りの板橋であったことから、「赤橋」(あかはし・あかばし)と呼ばれていた。
鎌倉の古絵図にも「赤橋」と記されている。
太鼓橋の両側にも橋が架けられているが、当初は左側の橋のみだった。
右側の橋は大正か、昭和の初めに架けられたのだという。
太鼓橋、今は立ち入り禁止ですが昔は渡る事ができ、何度かチャレンジした記憶があります。
すごい勾配でしかもテカテカした滑りやすい石でかなりの人が滑ったり転んだりしていた記憶があります。
鎌倉鶴岡八幡宮において1192年の源平池造営に伴い架けられた橋。
朱塗りの橋だったことから「赤橋」とも呼ばれる。
将軍家の八幡宮参拝のおり、輿はここまでで下車したと言われる。
別名「赤橋」とも。
元々は朱塗りの板橋だったそう。
現在の橋は昭和2年(1927)のもので石造りで約30度の勾配が設けられています。
今は渡ることはできず、横にある橋を渡り八幡宮へと向かいます。
かつては、朱塗りで赤橋とも呼ばれたそうです。
現在の橋が架けられたのは、西暦1927年(昭和2年)で、神橋のため通行することはできません。
太鼓橋の先に舞殿や社殿が望め、趣のある景色が撮影できることから、撮影スポットとなっています。
名前 |
太鼓橋 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0467-22-0315 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 6:00~20:30 |
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
こちらへ来ると必ず目にする太鼓橋、鶴岡八幡宮創建当初からあったと無意識のうちに思っていました。
橋床版、欄干は石製、擬宝珠は青銅製ですが、横から見ると橋脚、橋桁は鉄筋コンクリート製なので、鎌倉時代からあったわけないですね。
今の太鼓橋は、大正12年の関東大震災で全壊したため、架け替えられたもので、もとは朱塗りの木造の橋であったことから、「赤橋」と呼ばれていたそうです。
将軍家が鶴岡八幡宮を参拝するときは、この橋で輿を下りたほど神聖な場所だったということですが、これほどの傾斜では輿もつっかえてしまったでしょうね。