ちょっとした公園のようになっています。
金の亀に乗って義経の首が飛んできた、その首を洗った井戸とのことです。
国道467号(旧東海道)から少し入った、小さな公園の端に有ります。
白旗神社と合わせての見学を勧めます。
なんか切ないというか複雑な気持ちになります。
白旗神社の社務所の下に地図があり、旧東海道の交差点を左折すると街道脇に道標があった。
交番らしくない交番の細い路地の奥、小さな公園の片隅にそれはひっそりとあった。
歴史は勝者の歴史と言うが、小さなお堂は欲しい所である。
てっきり義経さんの首塚は、白幡神社に有るもんだと思っていたら、こちらに有ったんですねぇ。
井戸の中は、落ち葉の隙間から僅かに水面が見えたので、枯れては無いようです。
自分はどういうわけか義経初め例えば新田義貞、八幡太郎義家などに縁が深いものです......今から相当前にこのすぐそばに住む友達に何気無く連れてこられたのがこの首洗い井戸との縁始めでした.....ここから北に40mのところにかつて義経の首塚があって今は伊藤ビルの下になってしまっていますがかつてこのビルの南側の部屋、おそらく義経の首塚あたりに位置するであろう部屋に住んでいた方とも偶然職場で一緒に働いたこともあります.....まぁ、単なる偶然かもしれませんがこの他にも色々こうしたことがあり誠に不思議な気分にはなります。
司馬遼太郎先生曰く日本史の軍事的天才はこの義経と信長の二人だけだとおっしゃっています❗️義経始め源氏の人達と縁があるのかそれとも単なる偶然なのかわかりませんが私はかつて日本列島に生きたこの人達が大好きです。
現住所は新田義貞が鎌倉攻めをした時の戦場跡の洲崎の古戦場跡近くのマンションに住んでいます🎵又その洲崎の古戦場のすぐそばの旗立山は後三年の役の時に八幡太郎義家がその山に目印の旗を立てて兵を集めて東北に向かった山です。
路地の突き当たりにある公園にひっそりと有ります。
交番の横にある細い道を進むとちょっとした広場に井戸があります。
落葉がたくさんあり、管理されていないようです。
井戸は落ちないように柵してあり中を覗くと1メートルほど下に落葉。
井戸は思ったより浅く水は見当たらない。
義経公に思いをはせることの出来る場所です。
何時も綺麗に整備され、春には桜やシキミの花も咲きます。
中途半端に公園になってる。
住宅、建物の間のごく小さな公園になっています。
井戸があり、鎌倉時代初め、奥州衣舘で敗死した源義経の首実験が鎌倉で行われた後、海に打ち捨てられた義経の首が、この近くに打ち寄せられ、それをここの井戸の水で洗って葬った、という伝承があるそうです。
井戸と説明板、おそらく江戸時代に建てられた供養塔があります。
狭いながら木が植えられてその枝が伸びて良い感じですが、建物の陰になっており少し暗いですし、水があるので夏は蚊がいます。
場所が少しわかりにくいですが、歩道に案内の棒?が立ててあります。
交番の横を進むと小さな公園があり、右側に井戸があります。
本当に(伝)としか呼べない場所ですね。
説明板を読んでびっくりしたのは、わざわざ奥州平泉から首実検のために持って来たのに、その後は打ち捨てられていたなんて時代を感じますね。
首塚を作って埋葬しなかったなんて、残酷な気がします。
説明文の英語訳が日本語の途中までしかない井戸の隣に首塚あるが、これはあくまで伝説であり、頭蓋骨(首)はここに無く、慰霊碑と解釈したほうがよいと思う。
一応、市跡なんだけど場所が分かりにくい所にあるんで周りの住人でも知らない人がいるレベル。
ただ、DQウォークのメガモンスター出現場所に(近くに小田急の藤沢本町駅があるのに)選ばれて少しフューチャーされてる(笑)
公園みたいな感じ。
交番の隣にある。
頼朝に討たれた義経の首をこの地で洗ったとする伝承があります。
とてもきれいにされていました。
火に包まれたはずなので、史実かは不明です。
ちょっとした公園のようになっています。
ベンチあり。
遊具あり。
住宅地にあり、また隣が交番ですので、静かにお参りしたいですね。
東海道藤沢宿の名所です。
名前 |
伝 義経首洗井戸 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト |
https://fujisawashuku-kouryukan.com/kyutoukaido/osusume/16-osusume.html |
評価 |
3.6 |
源義経は頼朝に追われ奥州に逃げて居ましたが、1189年に衣川(岩手県奥州市)で自害しました。
腰越(鎌倉市)で首実験の後に浜に捨てられた義経の首は潮にのって川をさかのぼり、里人に拾われてこの井戸で清められた伝えられています。
なんともむなしい感です。