和田山・室ノ木に達する険しい山道でした。
追浜の最寄り石塔。
京急線から走行中に見えるので遠目から見たことある人はおおいかも。
地蔵尊中心に墓標、馬頭観音、庚申塔他などもあります。
大事にされてて安心感があります。
場所は、京急追浜駅から徒歩10分位ですか。
和田山の開発に伴い、山中各所に散らばっていた石仏や石碑などを集めて祀ったお堂(小屋かな) 和田山は本来、鷹取山と峰続きでした。
その為、金沢と浦郷の境として城郭などが築かれやぐら等も相当数あったそうです。
しかし、近代になり街道(現在の国道16号線)の開通に伴い山は分断され、また戦前戦中は軍用地として、戦後は宅地として開発が進み、その遺構の殆んどが失われてしまいました。
遺構が破壊されても、石仏は遺されているのが少々不思議ですが、おそらくは近隣の住民が大切に集めたのでしょうね。
現在は雷神社や法福寺裏山の壁面などに当時の造作が垣間見れます。
昔、このあたりは天神山脈が東西に連なって、和田山・室ノ木に達する険しい山道でした。
その尾根道の峠を南北に貫く小径が「浦賀道」で、その小径の傍らに、古くから五輪塔・地蔵・庚申塔が祀られていました。
特にこの場所は、浦郷村(現在の追浜)六浦荘村(金沢区)の村境いである事と又、相模・武蔵の国境いでもありましたので、隣村から悪人や病気が入らぬよう、そして、自身の長寿を祈ったのが、ここの石塔群です。
六体揃った舟形の石の中にお地蔵様が彫られている「六地蔵」と、お首が落ちて見るからに痛々しい「六地蔵」がありますが「六地蔵信仰」は人間の死後、六道「天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄」を輪廻転生すると言われ、自身と亡者の死後の世界の幸せを願ったものでありましょう。
「庚申塔」は、人間が穀物を食べるようになり、穀物のなかに住んでいる、「三尸(さんし)の虫」が人間の体内に入り、その行動を監視します。
そして十干十二支で言う「庚申(かのえさる)」の日、その人間が眠りに入った時に、体内から飛び去って「天帝」に、その人間の悪事を報告します。
そのために「庚申」の日に「三尸の虫」が、自分の体内から飛び去らないように「講」を造ったりして夜を徹します。
「講」を続ける事十三回を座として、その折ふしに庚申塔を建てます。
「五輪塔」は、鎌倉・室町時代に建てられたものが多く、宇宙の五大要素の空・火・水・地を表現しています。
正面には「梵字」が彫られています。
ここに祀られている「五輪塔」は、約六百年前のもので四面に「梵字」が彫られている大変貴重なものです。
名前 |
傍示堂の石塔群 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.9 |
歴史の話しは皆さんが語っていますので省きます。
この辺りにあちこちあったお地蔵さんや庚申塚を一ヶ所に集めてお祀りしているところですね。
ちゃんとコンクリートで出来た祠に大切に管理保存されています。
他の庚申塚やお地蔵さんは野ざらしになったりしたり管理されていないものも多く見られますのでここに鎮座されている石仏たちは有難いですね。