縄文時代の吉井貝塚として指定史跡公園。
怒田城跡(沼田城跡) / / .
高台なので見晴らしがいいです。
ルートは3箇所あり吉井側からの方がわかりやすいと思います。
京浜急行 久里浜駅から10分程度で行くことができます。
城跡であるとともに吉井貝塚遺跡として公園化されており、解説板も豊富に設置され、芝もきれいに刈られていてとても気持ちの良い場所でした。
横須賀市吉井に、平安末期から鎌倉時代・三浦一族により築城された山城で、三浦水軍の拠点でした!遺構は、本丸跡に土塁が残るのみです!
平安末期 三浦氏の山城。
桜が植えられた公演でした。
埋められた空堀の跡とパネルが複数ありました。
入り口は分かりづらいですね。
鎌倉時代の三浦半島の覇者・三浦氏の城です。
別名沼田城。
三浦氏は、衣笠城(横須賀市)、佐原城(以下同市)、太田和城、芦名城、津久井館などの城を拠点としました。
さらに、三浦党として強い結束力がありました。
衣笠合戦では、衣笠城にこもった三浦義明らが奮戦するも落城してしまいます。
その時、密かに城を抜けて、房総半島に逃れるため、舟を隠していた所があったため、怒田城近くには舟倉という地名があります。
遺構は、土塁、、切岸、曲輪などがあります。
空掘があったらしいですが埋められてしまいました。
また、吉井貝塚も同位置にあったといいます。
見晴らしが良いです。
とても分かりづらく、行くのがしんどいです。
なので近くの城と一緒に巡ってしまうのがオススメです。
久里浜駅から徒歩15分程度です。
入口はわかりづらいです。
横須賀市にある城址。
急峻な階段が、当時は山城だったことを偲ばせる。
案内板が充実しており、一帯の歴史についても学ぶことができる。
20210220JR久里浜駅周辺のんびり散歩に出かけました!横須賀って意外とアップダウンが激しくて、越して来たレオパレスも小高い坂の上でした!隣の丘が「貝塚」と「城跡」らしいので家事を終えてから「ぶらり散歩!」まぁ~入り口が分かり辛い事!ほぼ1周回った所に、民家の裏山入口的なスロープが有ります!貝塚と言われなきゃわからない公園と行った雰囲気。
所々に説明の看板があります。
山にあるので散歩するだけでちょっとした運動になりますね。
2月なのにダラ汗です・・・・・💦京浜急行の変電所がある山一帯が吉井貝塚です!昭和35年(1960)、変電所の建設に先立ち、発掘調査が行われました。
ここからは、縄文時代早期(約8000年前)から古墳時代の後期(約1400年前)までの土器、石器あるいは骨角器、また住居跡などが出土し、なかでも漁労関係のものは当時の人々の漁法を知る上で大変貴重なものであり、県内でも有数の遺跡として、県の指定史跡になっています!また、この山は鎌倉時代の三浦一族の水軍の基地・怒田城(沼田城)の跡でもあり、船を置いた一帯が、現在「舟倉」という地名となって残っているとの事です!なかなか知られていない鎌倉時代に活躍した三浦氏の支城だそうです!当時は目の前が海になっていて敵の侵入にもなかなか容易に攻め込めない城だったとの事です!比較的整備がされていて見学するのはいいですが、空堀がかすかに残っているだけです!
なかなか知られていない鎌倉時代に活躍した三浦氏の支城です。
当時は目の前が海になっていて敵の侵入にもなかなか容易に攻め困れない城でした。
比較的整備がされていて見学するのはいいですね。
しかし一部の箇所では台風の影響で木が倒れていて危ない所もあります。
ここからの眺めは久里浜が一望出来ていいですね。
わたしの写真で十分かも。
縄文時代の吉井貝塚として指定史跡公園。
三浦氏が本拠としている衣笠城の支城としての役割。
1180年石橋山の合戦では三浦義明が源頼朝を支援するも敗退。
房総半島へ逃げるも平家方の畠山氏に攻められ討死し衣笠城もろとも落城。
自動車で行くと停めるところに悩みます。
頑張って歩きましょう。
なにせ入口がどちら側から入ってもそこそこの坂道なので、たいして人もおらず、天気のいい日にレジャーシートとお弁当があればご近所ピクニックができてよいところです。
貝塚ですが、ただ広場です。
道が悪いため徒歩でしか行けません。
犬の散歩をされている方がチラホラみえます。
名前 |
怒田城跡(沼田城跡) |
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ジャンル |
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電話番号 |
046-841-4155 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.4 |
貝塚の遺跡と同一箇所のようでどこが城跡なのかわかりづらい。
登り口もあまり案内板がなくわかりづらかった。