2023年12月30日に新薬師寺を訪れた際に参拝し...
御祭神主祭神 - 十市皇女脇座 - 市寸嶋比売境内本殿 - そんなに大きな社ではありませんが、可愛らしくて女性の神様らしい雰囲気です。
比賣塚は古くから「高貴の姫君の墓」と語り伝えられており、天武天皇6年(678年)4月14日に十市皇女(とおちのひめみこ)を、天武天皇10年(682年)に氷上娘を「赤穂」の地に葬った記録されています。
十市皇女は、天武天皇の第一皇女で母は額田王。
大友皇子(弘文天皇)の正妃です。
それにしてはあまりにも小さな比賣塚なので気の毒な感じがします。
ただし良縁を願う女性に御利益抜群とか。
十市皇女をお祀りするお社です。
新薬師寺の脇に鎮座されています。
「高貴な姫君の墓」とのことで、参拝しました。
新薬師寺の入口にあります。
神社仏閣が密集している場所。
新薬師寺の両脇を神社が支えているような印象です。
新薬師寺付近にも駐車場はあるので、車で訪れる事も出来ます。
【比賣神社】(ひめがみじんじゃ)は本神社東側の鳥居から10mほど東、新薬師寺のすぐ東南に鎮座されています。
御祭神は、十市皇女。
古来より「高貴の姫君の墓」比売塚(ひめづか)として伝えられていた所で、昭和56年(1981年)より十市皇女(とおちのひめみこ)を祭神として祀られるようになっています。
十市皇女の父君は、大海人皇子(後の天武天皇)、母は額田姫王。
天智天皇の皇子、大友皇子(後の弘文天皇)の妃であり、葛野王の母です。
所在地:奈良県奈良市高畑町468
【比賣神社】(ひめがみじんじゃ)は本神社東側の鳥居から10mほど東、新薬師寺のすぐ東南に鎮座されています。
御祭神は、十市皇女。
古来より「高貴の姫君の墓」比売塚(ひめづか)として伝えられていた所で、昭和56年(1981年)より十市皇女(とおちのひめみこ)を祭神として祀られるようになっています。
十市皇女の父君は、大海人皇子(後の天武天皇)、母は額田姫王。
天智天皇の皇子、大友皇子(後の弘文天皇)の妃であり、葛野王の母です。
所在地:奈良県奈良市高畑町468
2017.08.12.(土) 14:05 二回目 (奈良斑鳩人)傍の説明板には 摂社比賣神社(セツシャヒメカミシャ)御祭神には土市皇女(トウチヒメミコ)と有りました第40代天武天皇の第一娘サンまた大友皇子(弘文天皇)の正妻に当たる方で 7世紀中頃を過ぎた頃の皇族ですまた比賣神社の創建は1981年(S.56年)で社殿手前には小さな鳥居が有り ソノ先の石階段を五段上ると柵の様な門扉が有り更に1.5mほど奥に少し縦長の 高さ約2.5m 幅約2mの社殿が建てられています小さいながら 鳥居 門扉 社殿と 全てが鮮やかな朱色で 存在感が有りましたまた社殿左横には 土市皇女と弘文天皇が仲良く手を取り合い 寄り添う石像が有り羨ましくも有りました❗
十市皇女・市寸嶋姫命を祀る。
昭和56年5月9日鎮座。
祭神は十市皇女。
40代天武天皇の第一皇女(母は額田王)、大友皇子(39代弘文天皇)の正妃。
比賣神社(ひめがみしゃ)。
御祭神は十市皇女(といちのひめみこ)。
弘文天皇の妃であり、天武天皇と額田王の子でもあります。
壬申の乱は愛する夫と父との戦争であり、さぞ苦労されたことと思いますが、乱の6年後に自らも謎の死を遂げます。
(自殺説があります)天武天皇は声をあげて泣かれたと伝えられています。
母である額田王もまた泣かれたことでしょう。
ご祭神 / 十市皇女鏡神社の摂社です。
良縁の神さまです。
名前 |
比賣神社〔十市皇女・市寸嶋姫命〕 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0742-22-3900 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.8 |
周辺のオススメ

2023年12月30日に新薬師寺を訪れた際に参拝しました。
御祭神は、十市皇女(といちのひめみこ)です。
十市皇女は、大海人皇子(天智天皇の弟で後の天武天皇)と額田王の間に産まれました。
また、大友皇子(天智天皇の第1皇子で後の弘文天皇)の妃となられた方です。
弘文元年672年に起きた壬申の乱では、父親と夫が、天皇の座を争いました。
夫である大友皇子は、戦いに敗れて自害しました。
天武7年678年に十市皇女は、謎の死をとげます。
十市皇女にとっては、悲劇としか言いようのない壬申の乱でした。