《二枚橋の由来》治承四年(1180年)の秋、源頼朝が平家を滅ぼそうと旗上げをした折に、弟の義経が奥州の平泉から弁慶や伊勢の三郎。
駿河の次郎たちを従えてかけつける途中ここを通りかかり当時の橋が粗末なものであったので、弁慶たちが馬も通れる橋に造り直した。
その橋は丸太を並べた上に土を盛ってあり、横から見るとのし餅を二枚重ねたように見えるので二枚橋と名付けられた、という言い伝えが残っている。
高石町会。
1180年源頼朝の挙兵を聞いて鎌倉に向かう義経一行が五反田川を渡ろうとしたところ、橋が腐れて壊れかかっていたので、一行は村人の力も借りて、丸太を並べ縄で縛り土を敷いて橋を作り直し、無事通過したという。
その橋を横から見ると「のし餅」を二枚重ねたように見えたことから「二枚橋」と呼ばれるようになったのだそうです。
名前 |
二枚橋 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.8 |
この場所に源頼朝氏の平家追討で、源九郎義経氏がここに通って、弁慶が丸太で橋を造った伝承があったなんて!