木古内の山の上にある神社。
みそぎ祭りで有名な神社です。
伝統行事はずっと受け継いで欲しいです。
木古内駅から遠くにちょっとだけ見える赤い屋根に惹かれて歩いてみました。
片道徒歩で約10分。
散歩には良い距離でした。
みそぎ浜の鳥居を目にして木古内道の駅に立ち寄り、動画を見て辿り着きました。
神様に招かれたのでしょうか。
お詣りのあと空を見上げると着物を召された女神さまがいらして…その後龍に変わりました。
写真を撮りましたのでいつか奉納したいと考えています。
御朱印書置き頂きました✨美文字✨ワンちゃんも抱っこして参拝どうぞと言ってくれました🐶
木古内駅の南口、道南いさりび鉄道側より車で2分。
木古内町市街地より奥に入り薬師山・萩山の麓に鎮座している神社。
前回の旅行で❬みそぎ浜❭を訪問し、こちらの神社のことを知りました。
毎年1月に行われる伝統神事「寒中みそぎ祭り」で有名です。
江戸時代の寛永2年(1624年)に松前藩地頭の河野加賀守源広により佐女川のほとりに武運長久を願って祠を建てたのが始まりと言われています。
ご勧請の神さまは日本の初代天皇である神武天皇の母上さま・玉依姫の命。
一の鳥居からの参道は両側に様々な石灯籠が並び広い境内は綺麗に手入れがされた清浄な空間。
二の鳥居からはさらに参道とわりと急な石段がそびえ立つ。
何気に歩きますよ。
お詣りできてよかったです。
右手には境内社の稲荷社がありました。
お忙しそうにしていらした宮司さん。
気持ちよく御朱印のお願いを受けてくださりありがとうございました。
寒中みそぎ祭り素晴らしい伝統として永くつづきますように。
そしていつか目の前で見られる日がきますように。
寒中禊ぎで有名な神社です。
御朱印は書置きのものでしたがいただけました。
禊ぎの時にまた来たいと思います。
とても、整備されていて、綺麗な⛩️です。
奥さんも、優しく対応して頂きました。
僧侶円空が彫られた観音像がご神体として祀られている神社。
仏教と神道は全く別の宗教、別の次元なのですが江戸時代に神仏習合があったので、その名残が未だに残っている。
ご祭神:玉依姫命,高皇産霊神,神皇産霊神,倉稲魂尊ご由緒:寛永2年(1624年)創建。
佐女川神社(さめがわじんじゃ)は北海道上磯郡木古内町字木古内157-1にあり、神社庁に属さない神社です。
(もしかしたら道南の神社に多い北海道神社協会所属)以下は境内にある由緒書から。
佐女川神社は松前●●河野加賀守源景広ご勧請により当時1624年寛永2年に鮫川の辺りに祠を建てられ武運長久を祈願されたと伝えられている。
又ご勧請の神様は日本の初代天皇である神武天皇の母上様であり玉依姫の命と申すお方様であります。
※河野加賀守源景広とは松前氏第五世藩主慶廣が六男の景廣にコシャマインの乱で討ち取られた宇須岸河野館主河野加賀守政通の名跡を継がすため河野姓を名乗らせるが、すぐに松前姓に戻り河野系松前家の初代となる。
後に新羅之記録を編纂した。
《別名「松前国記録」といわれ、松前家の家史として初代松前藩主の六男の手によって編まれた北海道史最古の文献。
中世~近世初頭の北海道を知るうえで欠かせない重要史料である》また、町内には円空仏が佐女川神社、西野神社、古泉神社に合計3体あり、それぞれ御神体となっています。
御朱印ありがとうございました。
「御祓(みそぎ)は地元の独身男性4名か行っている。
昔は名誉ある役割であったが、今は成り手が少なく、お願いしてやってもらっている。
一度選ばれると、4年連続で御祓をやることになる。
毎年一人新人が入り、一人卒業する」と、地元の方から伺いました。
円空が1665(寛文5)年頃置いていった、観世音菩薩坐像が御神体として祭られていた。
しかし、漁もうまくいかず作物も取れない時期が続き、次第に人々の信仰心が薄くなっていった神社は荒廃していった。
1831(天保元)年1月15日、神社を守っていた人の夢枕に御神体を清めなさいとのお告げがあった。
神社守はすぐに目を覚まし、佐女川に入って氷を叩き割り、冷水で自分を清めて御神体を抱いて海に出た。
すると大きな鮫がいて、その背中には白衣をまとった美しい女性がいた。
神の使者だと信じて、神社守は夢中で何度も沐浴したが、気づいたときにはもう女性は消えていて、大きな鮫は川を上り上流の佐女沼に姿を消した。
その年から村では豊作、豊漁が続き、天保の大飢饉も乗り越えられた📖幸連沼ある村人が雨の降る中、山菜採りに沼の沢まで来ると、白い着物の女性が沼のほとりに座り、髪を梳かしているのを見た。
気味が悪くなり急いで村に戻ると、人々は昔自殺した女の人が沼の主になったのだと噂した。
しばらくしてその噂も絶えた頃、村の子供たちが沼に遊びに行くと、大きな木に長い髪で白い着物を着た女性が寄りかかるように立っていた。
目が合うとすくんで動けなくなった。
子供たちは急に恐ろしくなって、夢中で家に帰ったが、頭痛に襲われるのはまだいいほうで、気が狂ったりついには死んでしまう子供もいたという。
そして、この沼を恐れて誰も近づかなくなった📖幸連の地蔵杉この木は、地蔵堂横に立っていることから、地蔵杉と呼ばれている。
文政年間の頃、幸連の奥の百合子沢の頂上が裂け、そこから石のお地蔵様が出てきた。
当時の村人は、「お山の地蔵」と称してお堂を建ててこれを祀り、毎年6月25日にお祭りを行っていた。
このお堂を、1887(明治20年)頃現在地に移転、その時、以前からここに植えられていた杉の木の下に安置したと言い伝えられている📖沼の沢札苅の幸連の山奥に『沼の沢』とよばれるところがある。
昔、この沼は青く澄み、まわりには草木が生茂り、それはとても美しい沼だった。
春の雨がしとしととふっている日のこと。
村に住んでいる男の人が、雨のなか山菜をとりに行こうとして、この沼の沢のそばを通りかかった。
ふと沼のほうに目をやると、白い着物姿の女の人が、ほとりの石にすわって長い髪を丁寧ににとかしているのが目に入った。
それを見た男の人は急に気味が悪くなり、山菜をとるのも忘れて急いで村に帰った。
そして、みんなにそのことを話すと「それは、きっとそこで自殺した女の人だ」「その女が沼の主になっているんだろう」などと口々に言った。
昔、この沼で若い女の人が身をなげたという話しを、伝え聞いていたからだ。
人々がこの話しも忘れかけたころ、何も知らない子どもたちがその沼に遊びに行った。
子どもたちは沼に石をなげたり、まわりを飛び回ったりして夢中になって遊んでいた。
すると、目の前の大きな木に、髪が長く、白い着物を着た女の人が寄りかかるように立っていた。
子どもたちは、女の人と目があうと、ぼうぜんと立ちすくんでしまった。
そして、急に怖くなり、夢中で家に逃げ帰った。
家に帰った子どもたちは、それぞれ頭が痛くなったり、気が狂ったり、そのうえ恐ろしいことには、死んでしまった子どもさえいた。
なぜこんなことがおきるのか、親たちはわけもわからず、ひどく不安にかられて子どもにいろいろと話しを聞いた。
子どもたちは初め口をつぐんでいたが、やがて「沼の沢に遊びに行って女の人を見たんだ。
そのとき、その女の人と目があって・・・・」と、話した。
それからというもの、沼の沢に行くのをひどく恐れ、子どもたちにも沼に行かないようにと、きつく言い聞かせた。
村人たちは、沼の主の女の人を見ると、かならず災いがあると思ったからだ。
そんなことがあってから何年かが過ぎ、いつしかまた沼の沢の出来事も忘れかけたころ。
ある人が山菜をとりに行こうと沼の沢のほとりを通ったとき、沼に大きな蛇がいるのを見つけた。
大急ぎで帰ってきて、みんなにそのことを話すと、村人たちは「そういえば沼にいた女の人は・・・」「ああ、あのひと・・・・・」「そうだ、きっとあの女の人は、いつしか大蛇になってしまったんだ。
」と、昔のことを思い出して言いあった。
この沼は、現在札苅の水源地になっているが、近寄る人も少なく今は静かでさびしい沼となっている。
木古内みそぎ祭り前夜「水ごり」見ているだけでも寒くなるけど、現場はもっと、めちゃくちゃ寒かった!このご時世、伝統を受け継いでくれた素晴らしい若者たちに拍手👏👏
【追記】2017年12月29日 この時期にしては積雪多い。
1月中旬の寒中みそぎが圧巻、必見!修験者の水ごりの様子には寒さと感動で身震いします。
宮司さんは勤め人のため、御朱印を直接いただきたい方は平日日中を避けたほうがよいでしょう。
JR木古内駅から徒歩10分ほど。
JR木古内駅は道南いさりび鉄道木古内駅(旧JR木古内駅)とは連絡通路でつながっています。
木古内の山の上にある神社。
先日、BS日TVで、寒中みそぎを拝見しました。
修行者の神事と向き合う姿に、感動しました。
今後も、伝統神事として、続けて行って欲しいと思います。
頑張って下さい。
名前 |
佐女川神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
01392-2-2135 |
住所 |
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関連サイト |
http://www.town.kikonai.hokkaido.jp/tourism/midokoro/samegawajinja/ |
評価 |
4.1 |
木古内町の閑散している場所にある神社です。
御朱印を書置きで頂きました。
初穂料は500円です。