鉄筋の神社はまり好きになれないんだな。
茨住吉神社(大阪市西区九条1-1-17)は地下鉄九条駅から徒歩約5分の場所です。
ご祭神は住吉三神と神功皇后の四柱です。
神社の公式HPによれば(以下引用)~淀川や大和川の河口付近に形成された砂州は、大小の島々となって難波八十島と呼ばれていましたが、わが九条島もその中の一つでありました。
それらの島々は自然と人為が作用し合って次第に陸地化し、江戸時代になるとその周辺部は急速に新田の開発が進められるようになりました。
九条島では寛永元年(西暦1624年)ごろから新田の干拓工事が始められ、その完成とともに東西二十五間(45メートル余)南北七十五間(136メートル余)の境域が区画され、社殿が造営されて、産土神として新田・河川の守護神として住吉大神が祀られました。
やがて時代の推移と共に九条新田の田畑は人家となり、大正時代から昭和時代初期にかけて、西大阪の中心街・歓楽街として最も繁栄し、神社境内には常時映画館や出店があって昼夜参拝者で賑わい、氏子も四区にまたがって4萬戸を超え当神社として最盛期を迎えましたが、昭和20年(西暦1945年)三月十三日第二次世界大戦中の空襲によって神輿庫一棟を残してことごとく焼失しました。
その後、神職・氏子崇敬者が共々に復興に専念して、昭和40年に現在の鉄筋コンクリート造二階建の社殿を竣工、つづいて参集殿・渡廊・鳥居門・手水舎・石玉垣などの付属建造物を昭和46年にそれぞれ完成し、神社としての規模をようやく整えました。
なお当神社の故事については、江戸末期以降の地誌・名所図会などに種々の記載はあるものの傍証のできる記録文書に乏しく、茨住吉神社の「茨」についても菟原群住吉郷の住吉神社(現在の元住吉神社)から分祀したのでとも云い、また新田開発当時「いばら」が生い茂った荒地に祀られていたからとも伝えられますが、特定できる資料はありません。
~とあります。
江戸時代末期の浮世絵「浪速百景」では鳥居の向こうに水面がみえます。
古地図から推理すると木津川と考えられます(現在、鳥居から木津川までは280m以上離れています)。
私はこの神社に参拝するのは初めてでしたが、過去にこちらの神社の住吉踊の皆さんが住吉大社へ来て奉納されていたことがありとても気になっていました。
参拝した際に社務所の方がとても親切に対応してくださり、多くの資料もみせてくださいました。
神社の境内は第二次世界大戦の空襲で焼失しているとのことで、現在の本殿は水害を考慮して2階建てとなっており、とても特徴のある様子になっています。
立派な神社さんでした。
一階に社務所、2階で参拝です。
平日の昼間だったので、参拝される方はいなかったです。
御朱印は社務所で、書き置きでいただきました。
大阪市西区九条に鎮座する茨住吉神社です。
読み方は「いばらすみよしじんじゃ」といいます。
2階に鎮座される社殿は風通しも良く、大阪市内の大きな通りに面した神社とは思えないほどの清々しさを感じさせてくださいます。
また、拝殿は「住吉」の名に相応しい非常に立派なものとなっているのも特徴で、手を合わせることで大きなパワーを頂けているような感覚になります。
入り口の鳥居⛩️も三輪鳥居という鳥居でとても趣があります。
活気あふれる商店街「ナインモール九条」がすぐ近くにあり「いばらのすみよっさん」と呼ばれ地域で親しまれています。
大阪市西区九条にある神社です。
鉄筋コンクリートの作りが、綺麗な所です。
余談ですが神社の北に有名な松島遊廓があります。
(夜に見たら情緒はあります。
)
お祭り以外は比較的にお参りしやすい。
御朱印は書ける人がいない時もあるので事前に確認した方がよい。
市杵島姫神社(いちきしまひめじんじゃ)弁天社が一階の向かって右奥にある。
いろんな事情があるんでしょうけど、鉄筋の神社はまり好きになれないんだな。
ご祭神は底筒男命・中筒男命・表筒男命・息長足媛命。
海にまつわる神様なので、昔はこのあたりも海辺だったんでしょうね。
1945年3月13日深夜の大阪大空襲は、この神社も、前の道路を挟んだ千代崎地区(松島新地)にも甚大なる被害を与えた。
多数の女性たちが犠牲になった。
リヤカーで運ばれていく山のような死体、足元からは赤い長襦袢の裾が見えた、と目撃者は語っている。
その日の地獄の惨状を知る焼けた楠がこの神社に残っている。
千代崎、九条、本田地区の護り神であるこの神社は、静謐で、明るく落ち着いた雰囲気が漂う。
合掌。
名前 |
茨住吉神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
06-6582-2211 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
静かで、土曜日でも、空いていました。